女中類従


「女中類従」開設に当たって
〜The world we have lost〜

 昨今、一部の人々の間でメイド趣味が急激な興隆を見せた。それに伴いネット上でも数多くのメイドを巡る言説が発表され、数多の意見が交わされている。その議論の中心は「メイドさんとはいかにあるべきか」という論争であるが、さらにその大部を占めるのは―つまり最も熱く議論されるテーマは「メイドさんと雇用主(呼び方について種々のセクトがあるのでここでは中立的表現を用いる)の関係は如何にあるべきか」ということであるのは、間違いないであろう。
 しかしながら、そもそも現在の日本では、メイドどころかお手伝いさん―すなわち家庭の中に住み込みで他人を雇い入れ使役するという行動自体が極めて希なものになってしまっており、従って一つ屋根の下に使用人と同居するという状況の意味することを想像することが、我々の世代の人間には困難になってしまっているのである。そしてそれは、いわば「メイド」「女中」「家事奉公人」という一つの文明が、現在の日本では事実上絶滅してしまっていることである。
 この文明を喪失してしまった日本人が、突然女中を雇わねばならなくなってしまうと、それは一場の喜劇の様相を呈する。参考までに、近藤紘一『バンコクの妻と娘』(文春文庫)の一節を引用してみよう。ベトナム人と結婚しタイに赴任した近藤氏はこう述べる。
 一般論になるが、東南アジアに住む日本人の奥さんたちが最初に頭を悩ますのも、やはり、この女中さんの問題だろう。(中略)私の周辺の奥さんたちに聞いてみても、十人中七人までが、女中さんとの人間関係にはずいぶん神経をすり減らした、という。
 それなら何を生意気に女中など、といわれそうだが、そこのこの地域の厄介さがある。東南アジアに住む日本人の多くは、“経済大国”の民、ということで、本人が好むと好まざるとにかかわらず、貧富格差の大きなこの地域のエスタブリッシュメントの側に組み込まれてしまう。たとえ上げ底、付け焼刃でも、上層と同列視された場合、いわば地域秩序の要求に応じて、使用人の一人や二人は抱え込まねばならないことになる。(中略)
 日本ではもう女中さん、いやお手伝いさん、という職業自体がなかば博物館入りしてしまったが、妻は浮き沈みが激しかったこれまでの人生で、何回か女中さんを使った経験がある。(中略)そんな彼女の、アヤさん(注:タイで日本人が女中さんを呼ぶ言い方)操縦法を観察していると、使用人にたいする姿勢そのものが、日本人のそれとは基本的に違うようだ。相手に接する態度がなんとなく硬質で、ときに私がハラハラするぐらい人使いが荒く、同時にキメ細かい。(中略)
サナエ(注:近藤氏宅の女中さんの名)がよく働いた時はこっちも親切にする。その代わり絶対に甘やかさない。いちどこっちが叱るのをサボって手綱をゆるめたら、その次からコントロールしにくくなるからね。お給料もむやみに上げず、特に忙しい思いをさせたときは、その都度チップをあげる。(中略)給料をいくら上げても、その分だけよけいに働いたりしない。そういうものなのよ。それよりもこうしてこまごまとあげた方が相手も喜ぶの」
 意地悪く解釈すれば、ことあるごとに主人(注:原文傍点あり)の有難さを思い知らせ、いや応なしに相手への権威と支配を確立していこう、というやり口ともみえる。実際に、ときに厳しくやられたり、仕事量に応じてその場で応分の報酬を貰ったりした方が、女中さんの方も使われやすいらしい。
 メイドや女中の文明を喪失した日本人にとって、「ご主人」「旦那」になることは容易ではない。極めて困難であるとすらいえるだろう。
 しかし、かつては日本にも確かにその文明は存在していたのだ。その文明は、社会構造や経済状況、人口学的見地などのパラメータにより、地域や時代による変化が生まれることは勿論であるが、共通する面もまた見出せるであろう。

 そこで本「女中類従」では、近代日本における、女中さんに関する同時代の言説を紹介し、喪われた文明に迫るよすがとしたい。我々の父祖が女中に対しいかなる認識を抱いていたか、或いはいかにあるべきかと思われていたか、その一端に迫ることで、読者の諸兄姉のメイド趣味が僅かなりとも豊かになればと思う次第である。

 とまあ、偉そうな事書いてますが、よーするに『妄想するネタは多い方が楽しい』つうことですな。
 読んだ皆様が、読後何か心の中に浮かぶもの(笑)があれば、筆者としましては嬉しい限りであります。結局、それが一番楽しいんだから。

(墨東公安委員会さんからの寄稿です)


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