女中類従


その2
ほのぼのボケボケ女中さん物語

 ネットのメイドさんものコンテンツの一つに、メイドさん小説 という一ジャンルが存在していますよね。中にはひたすら折檻なのもあるみたいですが、まず大部分はほのぼの系とでも云っていいんじゃないかと思います。小生も探し当てては読ませていただき、ほわほわはにはにな気分に浸らせてもらってます。
 さて、前回に引き続き、女中さんがいた時代を振返るこの企画ですが、この当時の雑誌にはやたらと小説めいたものが載っています。もちろん現在にも読み継がれる作品もあるのですが、すぐさま読み捨てられてしまうものも多かったでしょう。今回のネタ本雑誌『婦人(全関西婦人連合会)』も小説や、子供向けの童話っぽいものなどを数多く掲載しています。小説のテーマはさすがに婦人雑誌だけあって女性の生活を取り上げたものが多く、読者層が主に中間層以上であることから登場人物に女中、下女、小間使いなどが頻々と登場します。今回はその中でちょっと変わった趣向の、老婦人VS女中さんのボケボケを描いた新作落語「じんかゆ」なるものをお届けします。なお、表記の都合は前回に準じます。
新作落語「じんかゆ」
作:しんごろう

(『婦人』昭和7年12月号)

 エー当節はスピード時代と申しまして、何事も早いことを大切にいたします、その結果人間の気も短くなりまして、長い言葉でも短く申しますことが流行いたします。たとえばデモンストレーションをデモとか、モダンガールをモガとか、カレーライスをカラとか、そんなことは申しませんが、ともかく気の長い人にとってはなかなか大変な世の中になってしまいました。
 男に比較して保守的だと申されます婦人方も、この節はどうしてどうして進歩的で御座います。「ちょいと彼氏は好いスタイルネ、わたしあんなのが好きよ」「アラあんなバットのようなのがお好き?わたしはネ、ホレ堂々たる体躯(たいく)の持主であるあの人が断然好きよ」「アラいやだ、ボールみたいなあの人が?蹴飛ばしちまえ」これが新らしい娘さんの会話ですから恐れ入るわけです。
「竹や」「はあーい」呼んでいる人は少々お年は召していらっしゃいますが、新らしいことは何でも知っているといい、その癖あまり知っていない、いわゆるモダンの老婦人で、呼ばれているのは田舎出の女中さんで御座います。女中さんの名が竹ではあまり新らしくもありませんが、大阪の船場あたりでは未だにお松どんにお竹どんにお梅どんであります。どうもこの名前というのがなかなか呼び難いものと見えます。「今度来た女中の名は何というのだネ」「はい、瑠璃枝(るりえだ)と申します」「るりえだというと」「その浄瑠璃の瑠璃」「それはわかったが、枝は」「枝は木の枝です」「それではるりえではないのかネ」「それが戸籍面でるりえだとなってますんで」「どうも難しい、家(うち)では代々お松どんと呼んでいるから、お松どんで返事をして下さい」「はい、松にも枝がありますから満更(まんざら)縁のないわけではないし、承知いたしました」どうも洒落気のある女中さんで御座います。「お前さんの名は何というの」「はい、私の名は千鶴(つる)子と申します」「それは千鶴子(ちずこ)ではないかネ」「それが、その、戸籍でそうなっていますんで」「また戸籍かえ、家では前の人をお亀どんといっていたから、それで辛抱して貰いたい」「いやはや、有難いことで、鶴は千年亀は万年と申しますので」話が余談に入りまして恐れ入りました。前の女中さん「はあーい」と気の長い返事をして出てまいりますと、老婦人「あれ程いって聞かせているのに、もっと短くはいといえないのかネ」「それでは」「はがどうかしたのかネ」これでは女中さんも堪りません。すると老婦人、「今日はネ、旦那様が留守だからネ、いや旦那様というのは旧式よ、家の主人も変ネ、つまりネ、わたしのハズよ」「ハズと申しますと」「ハズを知らないのかネ」「は、分かりました、床の間に御座います」「床の間に?え、あれは掛物の、何をいっているの、わたしの亭主よ」奥様も生地が出てしまいました、「は、亭主野郎ですか」「何だ旦那様をつかまえてサ」「は、相済みません」「相済みませんで済むと思ってるの、まあ可い、今日は許してあげるから、これからデパートにゆくからお供するんだよ」「奥様!」「何だネ、頓狂な声を出して」「奥様、そのデパートはデパートメント・ストーアではありませんか」「そうだよ、お前にしてはよく知っているネ」「それなら奥様、はっきりと、全部いって下さい」「まあこの人は喧嘩腰だネ、今の世は何でもスピード時代だから、短くいわねばいけないのよ。また短くいってもわかるようでなければいけないんだよ」「それでも奥様、ラジオのことをとはいわんでしょう」このところ奥様一寸(ちょっと)タジタジです。「きょうは急にお腹の具合が悪くなったからデパートゆきは中止よ」と百貨店ゆきはとうとうお止めになりました。
 その後のある日のことです。奥様が珍しく朝早くお起きになりまして、「きょうは婦人会があるかネ」と竹やにお尋ねになりました。竹やは「は、考えてまいります」といきなり台所へゆきました。そしていろいろに頭をひねっています。奥様は竹やが今にきょうの婦人会を思いして来るのだろうと待っていましたが、なかなか出て来ません。その中にまたウトウトとして、やがて小一時間も経ったかと思われるころ、竹やは鍋と茶碗をお盆に載せてやってまいりました。「奥様、お待ち遠様で御座いました。やっと出来ました」「え、何が出来たの」「は、そのじんかゆが出来ましたので」「え、じんかゆ?じんかゆとは何? きょうは婦人会があるかと尋ねているのよ」「は、だからじんかゆで御座います」「これはお粥ではないの、え、何か香りがするかネ」「は、洋酒のじんを入れたじんかゆで御座います」―これはどうも御退屈様。
 どうでしょうか。皆様、ほのぼのできたでしょうか。奥様の指示に知恵を絞ってがんばる女中さんの姿に目頭が熱くなられたでしょうか。
 考えて見ればこの雑誌、大阪で出しているのですが、やたらと言葉を略したがるといわれる大阪気質って、この時には出来ていたんですね。またこの時代は、モダンガールをモガと略し、モダンボーイをモボと呼んでいた時代ですから、こういう省略が恰好いいと思われていたんでしょうね。まあ、略語にして、いわば仲間内の隠語を作って意気がるってのは今でもあることですが。スピード時代といっていますが、この時代はのち「流線形時代」と呼ばれ、世界的に流線形のスピード感ある形が流行っていました。自動車はせっせとボディーを丸くし、特急列車を引っ張る蒸気機関車は流線形のカバーをつけていました。実際のところは、空気抵抗の軽減は大した効果はなかったのですが。
 名前を呼びやすくしてしまう、なんて話がありますが、「源氏名」みたいなものでしょうか。いや違うか。幸田文の『流れる』という小説にも、おんなじようなエピソードがありましたっけ。とりあえず女中さんに命名できるというのは、妄想のネタにはいいかもしれません(笑)
 しかし、ジンって当時、どれくらい飲まれていたんでしょう?

(墨東公安委員会さんからの寄稿です)


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