神田狂騒曲

 今日は忘年会である。そう銘打ちつつも実のところは冬コミ対策会議に相違ないのだが、ともかく、忘年会ということにして、一年を締めくくると称して一駈出し制服ファン(特にメイド系。学校制服は基本的に除く)としての2000年を振返ってみよう。

 2000年は、3月に池袋の喫茶店「ロシナンテ」が閉店してしまい、そのメイドチックな制服も過去帳入りしてしまったが、夏には「馬車道」「神戸屋」を初訪問する機会に恵まれ、また広島や名古屋などのデパートを探訪することも出来た。さらに名古屋では、「GRAND ARTISAN」の制服などを観察した他に、かの「月天」を友人連と体験できたのは貴重な体験であった。ところが帰京するや否や「Shirley Temple」の制服廃止という悲報が飛び込む(もっとも、まだ旧制服は結構残っているらしい。12月初頭に新宿伊勢丹での目撃情報あり)。また、それに追い討ちをかけるように「ブロンズパロット」日野橋店が閉店という事態で、この業界(?)としては今年は低調であったという印象を拭えない。
 筆者個人としては、無意味ではあるがまずまず充実した一年であり、訪問店舗も増やせたし、若干の書籍を読み知識も増やせたと思われる。さて、今日の忘年会はお仕着せ好きの一年を締めくくるにふさわしいイベントであろうか?

 今日の面子は馴染みの高校友人連、酒がなくてもテンションは集まるだけで高くなる勇士達である。
 本日の会場は「藏 太平山」日曜日のみウェイトレスの服装がコスプレになってしまうという、コスプレ居酒屋として一部で有名な店である。
 さて集合場所の神田駅に集うた時から、既に我々はこの世ならざる空間に半歩踏み込んでしまったと言っていい。なぜ日曜午後8時の神田駅前にコミケ行列のような空気がどんよりと垂れ込めているのだろうか? 「常識人」を演技していたたんび氏など、早速「帰る」と言い出す有様である。
 予約してあるので、とにかく一目散に店内に突入する。この店を既に経験していたI氏のお蔭で、手筈は万全である。ここで筆者が素早く店内を見渡しやすい座席を占めたのは言うまでもない。友情は友情、コスプレはコスプレである。店内はそれらしいポスターも貼られ、BGMにもアニソンが取り入れられている。我々の入店時は、ちょうど「Merry Angel」が流れており、かつてこのアニメに御執心であったE氏は喜びを隠せない様子であった。

 さて、いよいよ本題の服装レポートと行こう。
 まず注文を取りに来て下さったのはメイドさん。嬉しいじゃありませんか。何故にかくも喜びたるかと云えば、そのスタイルたるや完成度の高さ、丈の短き偽メイドにあらず、靴も見えぬほどのロングスカートなればなり。無論、色は黒であり、エプロンは純白である(生地は木綿か)。過剰にならぬほど、適度にエプロンの各所にあしらわれたフリルのレースも亦佳きかな佳きかな。そして頭上にはカチューシャ。スカートと袖のボリュームがもう少し多ければさらに良かったが、生地の質感も化繊らしいピラピラ感があまりなく、コスプレにしてもここまでのお仕着せ服はそうそう拝めるものではない。舞い上がった筆者は、デジカメを持ったヘリトンボ氏を使嗾して写真撮影させようとしたが、メイドさん(の服装のウエイトレスさん)の撮影拒否に遭って断念せざるをえなかった。
 このメイドさんを絶賛してしまったが、接客態度に関しては一言苦言を呈しておきたくもある。いや、メイド界の論客の中には「ちょっとドジな所こそ『萌え』である」と力強く主張なさる方もおられ、ことによれば其処まで深読みした店側の指導という可能性も捨て切れないのではあるが、しかしああも注文を間違われては、此処は旦那様役としてこう叫ばざるを得ない。
「暇を取ら〜ぁす!!」

 話を戻す。他にも各種コスチュームに身を包んだウェイトレスの皆さんが注文取りや給仕に次から次へとやってくる。それはいいのだが、テレビ番組は「NHKスペシャル」と「アド街ック天国」と「探偵!ナイトスクープ」くらいしか見ない上に(そういや最近「二人は最高!」見てないなあ)、ゲームはボードのウォーゲーム(この業界日本唯一の隔月に出る商業誌『コマンドマガジン日本版』が一年に売り上げる部数は、『こみっくパーティー』の絵師が一回のコミケで売る同人誌の部数を下回るようだ)しかやらない筆者にはどうにも元ネタが判別しかねた。筆者は渡辺氏や猫一号氏に問うてみたのだが、彼等を以ってしてもなかなか分からない様であった。そこで筆者は提案した。
「んじゃ、他のお客さんに聞いてみますか。どうせそっち系の人しか客いないから」
「なんか怒られそうじゃないですか? 『そんなことも知らんのか!』とか」
「なに、それなら『じゃあ、あんたはあのメイドさんの年代が何年か分かるか。ヴィクトリア朝かエドワード朝か答えろとか突っ込み返せばいいんですよ」
「喧嘩になりそうだなあ」
 筆者の管見の限りでは、19世紀のヴィクトリア朝のメイドさんキャップが殆どすべてのようで、カチューシャは20世紀、ことによれば第1次世界大戦後ではないかと思うのである。絶対の証拠があるわけではないが、とにかく世のメイド愛好者の間でカチューシャ信仰が強いのはどうにも不思議ではあるのだ。

 そんな筆者でも、夏にこの面子内の有志でプレイした『To Heart』の制服くらいは見分けが付いた。この人ともう一人、十字架のペンダントをぶら下げた学校制服っぽい衣裳の人(『AIR』というゲームのキャラだそうな)は、小型のエプロンを装備していた。さらにもう一人、これも学校制服っぽい紺のブレザーにやたらとミニな白いスカートの人がいて(『シスタープリンセス』とゆうゲームのだそうな)、この人はエプロンは着けていなかった。筆者は予てからメイド服の魅力をエプロンに力点を置いていたが(無論他の要素を軽視するわけではない)、学校制服+エプロンというのもよい取り合わせであろう

 ただエプロンに関しては小型であるために、小生としては多少不満でなくもなかった。話が逸れるが、筆者が最近読んだ小説に、雑破業先生の『だいすき!』というのがあるが、同書で筆者がもっとも魅力を感じたキャラクターは、幼なじみのロリ系少女でも、スレンダーでクールな少女でもなく、ケーキ作りに全身全霊を注ぐ少女であった。脇役なのでそういうシーンは一切ないが、台詞がやはり楽しい。ついでに言えば本書は雑破先生の旧作『シンデレラ狂騒曲』と似た構成であるが、キャラクターを増やしたためか、各キャラクターを繋ぐストーリーが弱く、全体に散漫な印象が免れなかった。かくしてもっとも強力な自我を持つ(?)料理研究会会長のキャラクターが印象を濃くし、読後は性的刺激と言うより食欲に刺激を受けてしまったような気になったのである。それはともかく、ここで佐野タカシ画伯による挿絵を見ていて気になったのが、制服とエプロン(ここではオーバーオール型)の取り合わせであった。それ自体は素晴らしいのであるが、オーバーオールのエプロンの下端とミニスカートの下端を揃えているために、若干バランスが悪い様に感じられたのである。といってエプロンがはみ出すのも不格好な話である。
 話を戻して、『To Heart』の制服に関しては、オーバーオール型エプロンでも良かったと思う。制服自体派手な色なので、白のエプロンを上から着て、下からのぞくセーラーというのも乙であろう。無論、一般のゲームオタクから「制服がはっきり見えない」という苦情は来るだろうが。

 『AIR』の制服に関しては、ジャンパースカートなためオーバーオール型エプロンとの組合わせが困難である事は考えうる。この場合、黒いジャンパースカートに小型の白いエプロンが良いアクセントを与え、むしろ後で調べたオリジナルより安定した印象すら筆者は感じたのである。
 ここに至れば『シスタープリンセス』の制服にエプロンがない理由も明らかであろう。ミニスカートにバランスよくエプロンを合わせる事は極めて困難なのであり、白というスカートの色が更に問題を難しくしている。やはり色付きエプロンは邪道という認識が拭い去れないのである。

 この調子で評論していくとスペースがいくらあっても足りないので、以下駆け足で。
 『Angelic Layer』とかいうマンガのキャラクターの衣裳(セーラーまがい)の人もいたが、これは白でエプロンとの相性が会わない事は『シスタープリンセス』以上であろう。『冶金病棟』(原文ママ)とかいうゲームの看護婦の方もいたが、『戦争のはらわた』という映画の従軍看護婦の方が筆者は好みである(衣裳の出来もあるかもしれない)。ピンクハウス系っぽいフリルレース一杯の恰好の方もいたが、さすがにこれはあざと過ぎるというのものだ。

 我々の行動に関しては、他の方がレポートして下さるだろうから詳細は省く。我々のうち、E氏をはじめとした半数の四人は、ウエイトレスさんとのツーショット撮影にデジカメで挑んでいた。筆者は?メイドさんならやったかもしれないが、撮影拒否では如何ともし難い。どっちにせよ筆者はデジカメを持っていないし、また持っていたところで筆者は本来鉄道マニアで軍事史ファンであるから、こういう場合でも「公式写真」を撮ろうとしてしまうのだ。つまりコスプレしたウエイトレスさんに向かってきっとこう言ってしまうだろう。
「すいません、直立不動で、気を付けの姿勢でお願いします」
 しかし誰か一人はこういう記録は付けなければならないと思うのだが…。

 結局撮影に関しては「撮らなくて良かった」と「撮っときゃ良かった」という思いが交錯しているのが正直なところだ。
「彼の為した馬鹿げた事と、彼の為さなかった馬鹿げた事が、彼の後悔を半分づつ引き受ける」
という箴言を思い出す(ヴァレリー)。
 なお、一人常識人を装ったたんび氏は、暴言(とてもここには記せないが)を吐きまくり、酒を呑みまくり、写真に絶対入らない様上着を被ったりしていたが、実は彼がこのような役回りを演じることでこの場を思い切り楽しんでいた事は、火を見るよりも明らかである。

 そろそろ纏めに入ろう。先述のエプロン問題は実は重要な問題を孕んでいると考えられる。即ち、この店のコンセプトが「キャラクターになりきった人がウェイトレスをする」のか、「キャラクターの恰好をした人がウェイトレスをする」だけなのか、ということを明確化する事が必要になるのである。後者ならば、キャラクターの衣裳を見せるためにエプロンなどなくオリジナルにより近い方が良いだろう。しかしそこから一歩踏み込んだ総合的な雰囲気までをも楽しむのなら、「『演じているキャラクター』が『ウェイトレスを演じている』」という入れ子構造を実現しなくてはならない。そのためには、メイドや看護婦などはともかく、学校制服系などは「ウェイトレスを演じている」ことを明確化する必要があり、エプロンを装着する事こそもっとも簡潔なその実行手段なのである。そのためにはエプロンと相性の良い衣裳をあらかじめ検討する必要のあるだろう。是非ともこの店にはそこまで踏み込んだ境地を目指してもらいたい。『AIR』制服で見せたエプロン使いの妙を見れば、この店にはそれだけの可能性がある

 と書いたところで筆者は自己矛盾に気が付いた。テレビも碌に見ないしコンピュータゲームもやらない筆者にとって、「演じているキャラクター」が何であるかは知る由もないし、どうでもいい事なのである。それが『シスタープリンセス』なのか『超兄貴』なのか、或は『夜勤病棟』なのか『ガン病棟』なのか、筆者には分からないし、どっちだっていい事だ。要するにエプロンがあればいいということになるのか。

 エプロンがあればメイド系お仕着せとして無条件に認定されて良いのか? それは疑問であろう。そうなると、この店をそもそも「制服系」「メイド系」で評論すること自体がナンセンスである事になり、これはまた重要な問題であるから機会を改めて論じたい。その機会はそう遠くないだろう。何となれば、新年会もまたこの店で行われる事だけは、明らかであるからである。

 (転載にあたって一部修正・修飾を加えています)

(文責:墨東公安委員会)
(初出:「蔵」 原辰徳新監督)


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