ウェイトレスさんも熱く語ろう!


その2
緊急報告
異端者たちの葬礼

 あらかじめ断っておきますが、筆者は「メイドさん」好きが発展して各種制服系に関心が広がったのです。メイドさんのスタイルでどこが好きかというと、やはりエプロン だと思います。ですから、その名も高きブロンズパロットに行った時も、それほど制服に感心した訳ではありませんでした。確かに優れたデザインではありましょうが、「ウエイトレス」としての記号性、あるいは機能性 と申しますが、それに乏しい様に思うのです。実のところ、筆者の一番印象に残ったのは、天井に設置された大型電動団扇でありました。 そんな筆者ですから、ブロンズパロット閉店の情報を聞いた時でも、行くことはないのです。行きません。多分行かないと思う。行かないんじゃないかな。ま、行かないだろうと・・・
 (渡辺注・・・閉店の情報を仕入れてきたのも、行こうと誘いをかけてきたのも彼です)

 かくして9月26日午後6時、日野橋めざしひた走る車に、渡辺氏、線地面太郎氏、たんび氏と共に筆者の姿があったのでした。
 (渡辺注・・・ちなみに私はこの日サークルで、最近の空気の良くない活動状況を打破すべく親睦を深める為のボーリング大会があったのですが、「ボーリングはいつでもできるがブロパはもはや今日しか行けない」との判断により、ブッチ)
 日野橋に着いて見ると、駐車場もそれなりには混んでいたのですが、ブロパの前に並んだ自転車が目を引きました(20台はあったんじゃないか?)。閉店の張り紙に「地域の皆様にご愛顧頂き・・・」といった言葉がありましたが、なるほど自転車で来れる範囲に顧客が多かったのかもしれません。
 店内は結構な混雑ぶりでした。待っている人だけで20人はいたのではないでしょうか。15分あまりでしたでしょうか、待ったところ席に着くことができました。我々はステーキバイキングに間に合った最後のグループであったようでした。我々はレアな焼け具合のステーキをせっせと食しつつ、周辺観察に目を配っていました。「いかにも」という客層が確かに多く見受けられ、多数を占めて居ると云っても良いでしょう。しかし我々の目を引いたのは、例えば高校生の一団でした。あまりそちらの系統の方々とは断定しがたい人たちで、察するに、990円のステーキバイキングを当て込んできたのではないかと思われます。彼等はあらかじめ予約してあったようで、店員の方とのやり取りの雰囲気を察するに、あるいは関係者の家族とかだったのかも知れません。
 各方面で既に報告されていることですが、かの有名な制服のウエイトレスさんは、この日は遂に姿を現す事はありませんでした。かつて遭遇したメイト服 は、もはや我々の記憶のなかにのみ生きるのでしょう。その折は店内の照明は控えめで、卓上のアルコールランプが印象的でありました。今日は、経費節減の結果なのか、電灯が煌煌と輝いていました。
 (渡辺注・・・ブロパの制服は、有名なタイプが「メイト服」と呼ばれ、変更後のは「コンパ服」「黒服」などと呼ぶそうです。公式な物ではなくマニアのつけた通称らしいですが。その辺のことやブロパについてもっと学びたい方は
こちらのページなど)

 さて、件の制服と邂逅できぬであろうことはある程度予想の範疇でしたので、その事実を受け入れた我々は、レストランの正統的な利用法、普段より贅沢な気分の食事を楽しむことに専念しました。会話も、周辺のあのテーブルやそのテーブルのおたくとしか見えない人々反面教師と仰ぎ、あくまでまっとうな方面に徹しました。前回ブロパに来た我々の振る舞いは、余りにも制服目当て偏向 していましたから。我々は学んだのです。苦いアンミラの経験で。
 いえ、学べたのでしょうか。学ぶためにはそれを受け入れる余地が必要です。それなりのレストランでの正統的な会話 というのを、学ぶ余地は筆者にあったのでしょうか。
 はじめは「テヘランオリンピックで女子水泳は開催可能か」など至極まっとうな議論を交わしていましたが、しかし。
「ところでたんび氏、次の学期、法医学の授業、出るんですか? 二回目なのに」
「出ますよ。今年は内容が更に増えるらしいし。線地さんも墨公委さんも出るんでしょ」
この4人のうち、渡辺氏以外の3人は同じ大学で、しかし線地氏と筆者は浪人なのです。
 (渡辺注・・・ちなみに彼らの大学は所謂日本の最高学府です。彼らが未来の日本を築いてゆくのです)

「もちろん出るつもりですが、そういえば検死の解剖も見学できるとか以前おっしゃってましたよね」
「あれは試験休みにメールで連絡が入るんですよ。私が見た時は別れ話の縺れで男が女を刺し殺した死体でね」
「そうそう、なんだっけ、物凄く深く刺してたとかいう話でしたね」
「腹から入って、横隔膜貫通して、心臓かすって、背骨を削って。刃渡り21センチだったとか」
「さぞ良く切れる兇器だったんですな」
 筆者は、お世辞にも切れ味が良いとは言いかねるブロパのナイフでステーキと格闘していたので、思わず実感を込めた返答をしました。
 やはり、筆者の性格は、もはや正統に という概念を遠く隔たったところに位置してしまっているようです。

 我々は2時間余り滞在しました。最後まであと2時間、居座るという案もあったのですが、行列がなおも続いているのを見て、おとなしく席を譲ることにしました。我々はブロンズパロットに別れを告げ、・・・そして馬車道の北八王子店へ向かったのでした。結局そういう落ちになってしまう訳です。

 こうして一つの時代が終わり、一つの伝説が残ったのでした。

(墨東公安委員会さんからの寄稿です)


その1
徒然なるままに神戸屋駒沢店
並にペキンパーとアンミラにまつわる論考

 事の次第を思い起こせば、それはアメリカ独立宣言から224年を経た7月4日の午前3時を聊か回った頃、筆者とたんび氏はICQで例によって例の如き交信を交わしていた。たんび氏の進路決定に関してなど比較的にまっとうに交わされていた会話のさなかに、たんび氏が切り出したのだ、「明後日、神戸屋に行ってみるというのは如何なものでしょうか。適当な場所にあるなら行ってみたいものですが」と。この史実は是非とも強調しておかねばならぬ。大体たんび氏と筆者を両方知る人間であれば、かくのごとき提案をするのは筆者に違いないと思う可能性が高いのであって、見るからに教養ある好青年たるたんび氏と筆者とでは、明らかに社会への適応度に差異が見出せるのである。無論氏とてただ者ではなく、暗刻を必ず裏ドラにするという福永法源なぞ足元にも及ばぬ天行力の使い手であることなど、氏の秘められた一面のほんの一端を表すに過ぎぬ。ただ、たんび氏にはそういう面を切り札として取っておくだけの奥行きがあるということだ。マニア性という一枚のカードしか持たぬ筆者には到底取り得ぬ手法である。が、それはまあいい。

 我々−−たんび氏のみならずこのサイトの主たる渡辺氏などを含めての話だが−−が通例会合拠点としているのは池袋である。しかしその近辺には神戸屋は存在しない。かつて北豊島郡巣鴨村の字・池袋であったこの地にも文明開化の波は夙に押し寄せ、プチブル文化の瀰漫を見るようにはなったが、やはり中央線以南の地との南北格差は厳然として存在している。嘘だと思うものは地図上に神戸屋レストランの所在地をプロットしてみるがよい。暇な方はついでにアンミラと馬車道も記入してみるとある種の感慨を覚えるかもしれない。
 それはさて置くとして、我々の今次作戦の発起点は、やはり池袋に置かれる事に決した。もう一つの目的がそこにはあったのである。

 渡辺氏の当サイトを長年にわたり御覧になっている方ならば、昨年夏に我々がサンシャイン地下の「ロシナンテ」という喫茶店を探訪している事をどこか記憶の隅にとどめておいでかもしれない−−もっとも、渡辺氏が多忙に紛れて探訪までの過程は述べているのに肝心の喫茶店の事は述べていないのだが。ロシナンテは喫茶店としての良さもさることながら、店員はかなりレベルの高いメイド仕着せスタイルであり、筆者としても好印象を持ったものである。どれくらい印象を受けたかといえば、うっかりコーヒーを零した筆者はメイドさんを呼び付ける勇気がなくて自分のハンカチでこそこそと始末し、さあらぬ体を装っていたくらいである。しかしこの敬愛すべき喫茶店も再訪の機会を得ぬまま本年3月一杯をもって閉店となってしまった。跡地の新規開業は延び延びになったようで、ようやく7月上旬という情報を入手するに及び、跡地調査断行が決定されたのだった。

 時は7月6日の16時頃であったか、かくして我々は旧巣鴨プリズンの今だ工事中である一角に佇んでいた。ロシナンテ跡地再開発完成までにはまだしばしの時間を必要としていたらしい。「7月上旬」という語の解釈に些か我々と当局との間に齟齬があったようであるが、無論かかる齟齬など日常茶飯であり、直ちに渋谷に向けて転進するに至ったのである。

 我々は池袋から渋谷行き都営バスに乗り込んだ。池袋から渋谷への移動にバスを使うなどおよそ常識的とは言い難い手段ではあるが、程よく時間を潰せるという効果はある。たんび氏は都のバスにかなりの程度通暁しておられ、筆者も鉄道趣味専業といいつつも紀伊半島を路線バス(定期観光バスや高速バスの類ではない)で縦断するなどという荒行をこなした身である。あれは探偵ナイトスクープのパラダイスに取り上げても良さそうな旅であった。間違ってもテレビ東京の紀行番組には仕立て上げられそうもない。

 池袋から渋谷へ1時間ほどのコースである。バスの最後尾にでんと腰を据えた我々の一列前にうら若き女性二人連れが着席した。日に灼かれ果てた畳表の藺草の如き色調に皮膚を焼き、きつねうどんの揚げを思わせる色の頭髪をした二名である。車内にて彼女らが取った行動は即ち化粧であり、これは社会の良識的な価値観を所有していると自惚れる階層が、いわゆるコギャルと総称される集団を批判することで自らの自惚れをさらに強化する恰好のシチュエーションであったといえるだろう。我々には、彼女らの斜め前に座るナチスドイツがパリに入城した頃生まれたであろう女性が、この様を見て上記の如き心理に陥る様が手に取るように分かったのだが、その頃バスが学習院女子大学の前をゆるゆると通過していたのは何かの符合と運命論者は感じ取るかもしれない。

 話を戻す。
「たんび氏、前の情景を如何に見るかね」
「そうですな、右側の方が上ではありますまいか」
彼女らは皮膚に顔料を擦り込む工程を終え、続いて髢(かもじ)を取り出した(こういう付け毛のことを横文字で何か格好をつけて呼ぶ言い方があったと思うが、かもじで充分だ)。かもじを使って短髪を長髪に変化せしめんとクリップや洗濯挟みの同類を手に苦闘する彼女らの姿は何がしかの感動を呼び起こさないでもなかった。そして感動というのは大体において安っぽいのだが。
「地毛との色調の差がいい感じですな」
「左様、やはりあれは化学繊維であろうか」
 最近、素材が気になって仕方が無いのである。

 渋滞に時折巻き込まれつつも、バスは渋谷駅西口に到着する。乗客の大部分が降りる。前席の二名もまた夜の修羅場に繰り出すのであろう。我々もまた降りる。
 道玄坂に神戸屋キッチンがあることは以前から知っていた。ただ、キッチンであれば長居はできない。とりあえず外から目視偵察を試みるが、夕暮れ始めた日光と店内の照明の絶妙なコンビネーションはそれを許さなかった。これが筆者のしばしば前を通る青葉台店なら状況は異なるのだが。神戸屋キッチン青葉台店はそもそも店の二辺がガラス張りとなっており、駅のコンコースに面したサイドはカウンターに正対するため正面の姿が、バスターミナルに面したもう一辺からは側面の姿が観察できるのである。特に側面からの場合、カウンターの開口部から全身の側面が観察できるのは非常に宜しい。さらにバスターミナルサイドにはオープンカフェとして椅子とテーブルがしつらえてあるのだが、時折手の空いたウエイトレスと男子店員が一番奥のテーブルで談笑している場合があり、この時は普段観察しにくいエプロンの後ろなども見られる。てゆうか働け。
 なお、青葉台店の観察を志す向きに警告しておくが、神戸屋のすぐ隣が交番であることには留意されたい。

 空腹を感じた我々はいつもの如くモスバーガーにて腹ごしらえをした後、三省堂書店を覗いた。加門七海や北村薫など買い漁るたんび氏を横目に、筆者はボライソー・シリーズを揃えながらホーンブロワー・シリーズを揃えない偏った品揃えに内心憤慨していた。
「おや、宮脇俊三が再版されてますな」
「いつまでもK島R三ばかりのさばらすわけにもゆきますまい」

 日が傾き、幾分かは涼しげな風も吹きはじめた。我々は駒沢をさして歩きはじめた。渋谷から神戸屋駒沢店まで高々6キロ餘、1時間少々で着くだろう。なにも奇特な行動をしているつもりはない。筆者のお茶の水予備校時代、たんび氏はその予備校でバイトをしていたが、しばしば我々は渋谷まで歩いたものである。よい気分転換であった。ちなみにその頃はもう一人連れがいて、彼もまた渡辺氏やたんび氏、筆者同様の高校の同級生にして珍談奇譚頗る多き男なれど、それはまた別の話である。
 東横線のガードをくぐり、代官山の駅前を通る。さいぜんの女性二人組と類似した風体の若者が数多くたむろし、ライブでもあるのだろうか、店の前に列をなしている。我々もまた、電車に乗らずに敢えて歩くというあたり、彼等と表現手法こそ異なれ、若者しているのである。
「しかして好嫌という語は死語になったと云わざるを得ないのでしょうかね」
「ううむ、好悪はともかく好嫌に関しては微妙な段階に位置しているといえるでしょう」
「それはまだしも容貌筋と云ったのが理解されないのには参りましたね」
「僧帽筋と誤解されたのではありますまいか」
「いや、そのような誤解ができるような相手とは云いかねますな」
駒沢通りに出るところでは少し回り道をして日比谷線の事故現場を見る。
「なるほど、あの遷移転轍器に引っかかったんですな」
「一体ニュースを見た人の内で何人が理解したでしょうね」
「小生半蔵門線に乗ってますが、車内で御婦人が『危ない電車ねえ』とかのたもうてました」
「営団の半蔵門線と日比谷線の車輌、殆ど同じでしょう」
「問題の住友金属の台車は確か同形の筈」
 いつも通りの平和な会話が続く。これを描写し続けてもよいのだが、読者の皆様がマウスポインタを「トップページへ」に動かす様が容易に想像できる故、ここは大幅に端折って一気に駒沢へ舞台を移そう。

 駒沢通りを西進してオリンピック公園を抜けたところには、レストランが三軒並んでいる。東からサンマルク、アンナミラーズ、そして神戸屋レストラン。三軒茶屋に対抗して三軒ファミレスともで名づけたい状況ではある。サンマルクではなくてブロンズパロットとかEARLとかロシナンテとかだったら、「三軒制服」としてその名を全国に轟かせたであろう。それでも、おそらく日本一神戸屋とアンミラを梯子しやすい立地ではある筈だ。
 サンマルクは近年積極的な店舗展開を行っていることで知られ、特に「パン工房」を看板とするあたり、神戸屋との競合が懸念される。サンマルクの発祥は岡山だそうで、フランチャイズも関西が多かったようだが、近年は関東圏でもすっかり定着したといえよう。筆者の父はサンマルクがまだ関西圏にしかなかった頃、大阪は茨木市に赴任しており、サンマルクによく行っていたという。筆者宅の近所にもサンマルクが姿を現した頃、父はサンマルクへパンを買いに車を走らせつつ、こんな体験談を語ってくれた。サンマルクは「ホテル並みの味・雰囲気・サービスを、リーズナブルなカタチで」と謳っているように雰囲気作りに力を入れている。そのサンマルクに、紫のジャージ上下にサンダルを突っかけたパンチパーマのやくざ屋さんにしか見えないおやじが、ごく自然に出入していたという。それ以後、サンマルクのことを我が家では「ジャージと突っ掛けで行く店」と呼称するようになったが、それは余談である。筆者の経験では、サンマルクはパンはいいが他のメニューに努力が必要であろうとの結論を得た。アンミラと比較すれば、二つの点で大きくサンマルクが劣るのは否めない。一つはコーヒーのお代わりが有料なこと。もう一つは、こんなコーナーを読んでいる皆様に対し指摘するまでもあるまい。

 閑話休題、我々は遂に神戸屋レストラン駒沢公園店に辿り着いたのである。
 ウエイトレスに案内され席に着く。時間帯は夕食時にはやや早かったのか、さほど混んでいない。店内の様子からは清潔感が感じ取られ、爽やかさを感じたが、ただ単に冷房の効きが強力であったということなのかもしれない。雰囲気は落ち着いており、後で隣のテーブルにやってきた家族連れの子供も騒ぐことはなかった。これもただ単におとなしい子供だっただけかもしれないが。筆者は、ウエイトレスのスカートと同系色の、青いテーブルクロスが甚だ印象に残った。
 おもむろにメニューを開く。しかしお互いにここしばらくの個人的ストレスと、先程来の平和な会話とで異様な盛り上がりを見せたテンションは、胃の空間より財布の軽さを遥かに意識させたのであろうか、4ケタの数字が並ぶメニューを見た筆者は、いつぞやの如くさあらぬ体を装ってメニューの冊子を押しやり、ケーキセットの案内を取り上げたのであった。かくして、我々は男子店員にケーキとコーヒーを持ってくるように命じた。しかしである、3月1日に隣のアンナミラーズ駒沢店で筆者を見舞ったのと同じ運命が待っていた。つまり品切れという訳だ。在庫調査にショーウインドーに赴き戻ってきた男子店員の前で、我々は慨嘆した。
「先達てはガーナの情勢不安に泣いたが、今回はどうしたって訳なんでしょうね」
「シエラ・レオネあたりの情勢不安でしょうな」
 結局二人とも注文を改めることになった。

 待つことしばし、注文の品がやってくる。たんび氏はショートケーキ、筆者は・・・名前は失念したが、ともかくオレンジをベースに各種果物やカスタードクリームを取り合わせたものであった。そう、名前など些末事はどうでもいいではないか。美味しかったんだから。ついでに価格もリーズナブルと言ってよかろう。
 我々の怪しき盛り上がり具合は、傍目には分からぬうちにいよいよ深刻の度を加えていった。ケーキのせいであってもこれに制服は関係していない、多分。
「たんび氏の周りでも就職でいろいろあるみたいですなあ」
「まったく役所の人員採用システムは混乱を招くものですね、あれは。抜け駆けする通産省の体質に問題はあるのですが、それで割を食う防衛庁なんかは焦る訳で」
「やはり日本は神の国であるからして、三宅島の噴火に際し森首相は人柱に立てるのが筋ではないかと」
「建てるのは鉄塔に限りますな。最近は鋼管とかであっさりした送電線が増えて嘆かわしい」
「つまりね、神ながらの道の神髄というのはつまり太陽が円筒形であって天照皇大神であるということであってだね、早い話が地動説は間違っているのだよ」
「そこがですよ、円筒形の鋼管では鉄塔が空間を切り裂く鋭敏性に欠けるわけだよね、やはり等辺山形鋼の味わいはそこにある訳で」

 さいわい神戸屋のウエイトレスたちは客の話の内容を傍受する習慣がないのか、このような我々に対しても頻繁にお冷やのお代わりをしてくれたことは誠に喜ばしきことであった。左様、筆者はウエイトレス観察に当たって古典を渉猟し「よそながらに見る」という発見を成し遂げていたことこそ、この成功の要因に他ならぬであろう。これこそかの吉田兼好が徒然草の中で述べていた哲理であり、教養なき輩はしつこくあくどく対象を追い、一方想像力を持つ教養人は極めてあっさりしているのだ。そう、見ようとして見るのではない。自然に見えるのである。兼好法師の徒然草は江戸時代の文人に愛され、いわば日本のマニア文化の源流を作ったといえよう。それについていけない体育会系熱血知識人の本居宣長が国学なんぞ作るから、世の中窮屈なのである。な〜んて古典を無理矢理現在に結び付けて伝統を作ってしまうことこそ、かのホブズボームが「伝統の創造」と喝破した行いに他ならないのであり、なんでここでホブズボームが出てくるかといえば、彼の著『極端な時代』1巻の口絵写真のメイドさんは、これがまたえらく装飾が多くなかなかいい感じであるということが云いたいである。
 吉田兼好なぞ持ち出したものだから話が途端にペダンチックとなってしまった。2時間もケーキとコーヒーで居座ったのだからそろそろ退散しよう。我々は名残を惜しみつつ会計を済ませ店を出たが、これぞまさに「仁和寺の法師」である。神戸屋行ってパンを食べなかったんだから。

 1分後、我々はアンナミラーズ駒沢店でくつろいでいた。やはり2回目以降と1回目の差は大きい。この店は渡辺氏の誕生祝以来4ヶ月ぶりであるが、ことアンミラに関しては3月10日に渋谷で友人連と映画を見た後以来であった。この時の面子がまた、たんび氏と筆者に加え、西洋史に通暁し書籍にもこだわる好青年ながらウォーゲームをやると中立侵犯がプレイの基本というM氏に、岩男潤子を神と崇める鉄道・軍事・アニメ・ゲームオタクA氏とかなりきていたのだが、渋谷で映画を見た後興奮覚めやらぬ4人はアンミラに直行したのであった。そう、アンミラ渋谷店。かの2・18事変で筆者が敗走を余儀なくされた因縁の店である。そして4人でコーヒー37杯を飲むという暴挙に出たのであるが、肝心のかつて我々のモラールを崩壊させたウエイトレス女史が不在だったのは遺憾であった。
 その時見ていた映画こそ、サム・ペキンパーの名画「戦争のはらわた」であった。俄然、その時の思いが蘇り、かつてたんび氏と筆者は線地面太郎氏と3人でスピルバーグの「プライベート・ライアン」を観ていたこともあって、夜も更けきった閉店一時間前のアンミラで戦争映画談義に花が咲く。
「やっぱプライベート・ライアンは戦争のはらわたに及びませんな」
「暴力をどう捉えるかという眼差しの問題ですよね。そこが監督の違い」
「結局スピルバーグは、戦争を克服してよき未来を作ろうという安直な見方を脱してませんから」
「邦題が変という点は妙に共通してますがね」
「今フィルム福岡回ってるらしいですが、8月に戻ってくるそうです」
「じゃあ、また行きますか。機会があればワイルド・バンチも観たいな」
 ちなみに「戦争のはらわた」は兵器と軍服・戦術の考証の正確さで軍事マニアから絶賛されているが、ということはセンタ・バーガー演ずる従軍看護婦の衣裳も充分な根拠あってのことなのだろう。しかし、水色の縞模様ブラウスに白いエプロンって、どう見ても看護婦と言うよりメイドさんに近い。襟元を赤十字マークのブローチで締めているところもポイントが高いのである。頭が三角巾・・・というのか、布ですっぽり覆っているのは今一つだが、まあ実際そうだったのだろう。なぜなら東部戦線のドイツ軍だけに、カチューシャは鬼門という訳。・・・おあとがよろしいようで。

 アンミラ駒沢店に話を戻す。何せ閉店1時間前だけに、客もいなければウエイトレスも一人しかいない。ピンクのタイプである。神戸屋のウエイトレスはみなさん綺麗であったが、ただ店の方針か皆短髪にしていた。一方このアンミラのウエイトレスは、ポニーテールにして同色のリボンで結んでいた。それは実にいい感じで、無造作に留めてあるところがかえって良いのである。これぞ兼好法師の境地、あのバスの中の二人には分からないであろうけれど。その親しみやすい雰囲気のウエイトレスさんにコーヒーとチョコレートパイを頼む。たんび氏はブルーベリーパイであった。前回はここでチョコレート切れという事態が起こったが、今回は無事にまろやかかつとろけるようなチョコレートパイを賞味できたのである。
 例の如くコーヒーをがぶがぶのみ、議論を交わすうち、意外なことに客が来た。それも熟年の男女、女は化粧っ気が濃く、夫婦とは判断しにくい。いかにも訳ありという感じであったが、なぜそこでアンミラを選んだのだろうか。まあ、はたから見れば夜の9時にもなってアンミラでパイとコーヒーで盛り上がる我々も怪しさの点では大差ないのかもしれないが。
 我々は閉店まで1時間滞在し、そして店を出た。

 それからブックオフを襲撃するなどの事件もあるのだが、もういい加減終わりにしよう。そもそもこれは制服に纏わるレポートとなっているのだろうか。大体肝心の神戸屋の制服の描写がない。しかし筆者の拙い文章が述べるよりずっと素晴らしいイラストはネット上にいくらでもあるし、機会があれば御自身で確かめられたい。蛇足ながら筆者の私見を述べれば、スカートは短きが故に尊からず、その質感を以って貴しとなす、ということである。
 最後に一言申し添えれば、本稿を執筆したのは、筆者をメイド・制服道に目覚めさせた渡辺順一氏をないがしろにして、たんび氏と二人で半日楽しんできたことに、些か忸怩たるものがあるためではある。せめてレポートしてMaIDERiAを凍結の危機から救うことで恩返しをしたいのだが、では本文がありのままの報告かというとそれは怪しい。大体一月も前のことだし。そう、ここでもう一度兼好法師にご登場願うとしよう。
『世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、おほくは虚言なり(世間に語り伝わることは、真実ではつまらないのか、多くは嘘である)』

(墨東公安委員会さんからの寄稿です)


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