ウェイトレスさんも熱く語ろう!


その6
明治時代のコスプレ喫茶?
(但し中の人も本物です)
〜「日本人の境界」を考える〜

 当サイトでは、「今週の一冊」連載終了以降、文章系コンテンツの更新がいささか滞ってしまっておりますが、それと反比例するように世間でのメイドさん関連コンテンツへの注目は増すばかりで、オタク系ではない一般マスメディアへの露出度も高まっているようです。
 もっとも、そのような最近のメイドさんへの関心の中心はもっぱら「メイド(コスプレ)喫茶」に置かれているようですね。この潮流は、秋葉原にメイド喫茶が増殖し始めた――メイリッシュが当初 Mary's と名乗って開店し、名古屋に M's Melody が出来た――頃から生まれてきたのだろうと思います。それ以前は、既存の喫茶店やデパ地下の菓子店などを探検して可愛い制服を探す、というフィールドワーク(笑)がメイドスキーの活動の中で重きを置かれていたものでした。しかしブロパが消え、シャーリーテンプルの制服が変更になり、一方その頃からメイド喫茶が台頭してきた、という感じになるのでしょうか。
 当サイト文章系コンテンツ主担当者は、Cure Maid Cafe の頃は結構楽しく通いもしましたし、メイリッシュの頃にはネタとして取り上げもしましたが、もう最近は多すぎて何が何やら分からず、まあ時代の流れが変わったんだなあ、と半ば諦めモードであります。

 前口上はこのくらいにして、本題に入りましょう。
 筆者は大学でも制服系の趣味があることが知れ渡っており(ゼミで教官にバラされた)、そのおかげである日先輩が「お前こんなの好きだろ」と言って、古い新聞のコピーを渡してくれたのです(この先輩は、2ちゃんの某板では、コテハンでこそないものの随分と活躍された人らしいですが、制服やらメイドやらの趣味は全くない人です)。それは明治22(1889)年5月30日付けの郵便報知新聞でした。以下にその記事を引用します。旧字体旧仮名遣い、変体仮名は現在の通例のものに直してあります。また適宜句読点を付し、原文にあった振り仮名はカッコでくくって直後に書いておきました。
●一種異様の給仕女  本所区元町十八番地氷営業人橋本万之助は、給仕女(きゅうじおんな)を雇い入れるに尋常一様のものにては他に打越(うちこ)えて多くの客(きゃく)を引(ひ)くこと能(あた)わず、何か善(よ)き工夫(くふう)はなきかと種々思案(しあん)の末、終(つい)に氷に縁(えん)ある北海道土人(アイノ)の女子を雇い入れなば、氷は二ノ手に廻しても此の土人見物旁々入り来るもの多からんと思い定め、二人の女を雇い入れたり。其一はヒネトリ女(二十二年)と云い、今ま一人はトモエ女(二十八年)と云う。何れも土人の儘(まま)の衣服(いふく)を着さしめて給仕(きゅうじ)せしめ居れるか、案に違(たが)わず左までの暑気(しょき)にもあらざるに、兎に角見物せんとて来客甚だ多きよし。
 という次第で、明治時代にサムスピのナコルルのコスプレしたかき氷屋があった・・・と言う訳じゃないですね。アイヌでない人が恰好を真似しているのではなくて、アイヌ人が自分たちの衣服を着ているので。
 ちなみに本所区元町は現在の墨田区両国に含まれます。氷屋は夏場の商売なので、冬になるとよく焼芋屋に転業してたらしいですね(明治十年代は冬に肉屋をやっていたそうです)。当時、氷はもっぱら函館のものを取り寄せていましたから、氷=北海道=アイヌというつながりが出来るわけですね。アイヌを「アイノ」と表記するのは、戦前まではよくある(「アイヌ」よりむしろ多いらしい)そうです。
 一応「給仕してくれる人の衣裳が一般の店と大きく異なる飲食店」の範疇には入るわけですが、昨今のコスプレ喫茶店の類とはいささか傾向を異にしていると言えるかもしれません。戦前のこの手の店の話は、「今週の一冊」第56回でお寺をやろうとして当局に怒られたカフェーの件を引用しましたが、そっちの方が今の店との共通点が多いでしょうね。
 このアイヌ氷屋の話は、明治二十年代の人がどのようにアイヌ人を見ていたか、ひいては「日本人」をどのように規定していたか、ということを考える上では、それなりに示唆的なエピソードと言えそうです。というわけで表題に恰好をつけて小熊英二氏の著書のタイトルを引用してみたりしたのですが、実は筆者は『日本人の境界』は読んでなかったりします(コラ)  小熊英二氏の著書では、有名な『単一民族神話の起源』は読みました。これは世評に違わず大変面白い本でした。さらに、終章部分で家族制度に触れていますので、実はメイドさんについて考える上でも参考になるのではないかと思います(以前にも書いたように、メイドさんは近代家族と極めて密接な関係にあるので)。何で戦前の日本民族論に関する本に家族論が出てくるかというと、大日本帝国では、日本民族は混合民族であるとすることで、支配下に置かれている民族も日本民族の兄弟であり、天皇を家長、日本を兄とした家族国家に養子として迎えられた弟なのであるとして、支配と同化を正統化していたから、なのです。この理屈を支えるのが、日本の家族制度であるわけです。
 このように規定された大日本帝国下の被支配民族について、引き続く箇所で小熊氏は以下のように述べておられます。「高群逸枝は、古代日本の被支配者の位置を、『家族としての隷民』と表現した。それは家族であるが、隷民なのだ。同化を強制されながら平等に遇されなかった大日本帝国のマイノリティの位置を表現するにあたり、この一見矛盾した言葉ほど適切なものはない。」(pp.384-385)
 この「家族としての隷民」という表現は、現在のオタク系コンテンツの多くに表現されているメイドさん像を形容する上でも、極めて有効なのではないかと筆者は考えています。そして、飛躍であることを百も承知で続ければ、「家族としての隷民」という表現がそのような有効性を持つということは、現在のオタクのマイノリティに対する(そもそもオタクもマイノリティだったはずなのですが)政治的な志向というものがどのような傾向に流れるであろうか、ということを示唆するわけです。ついでに言えば斯様な傾向は、メイド趣味というものが経済的な効果から世間に認知されたということとも無関係ではないように思われます。こうして話は前口上の感慨へと無限ループに陥るのでした。
 まあ、筆者の憂鬱な妄想はともかくとして、近代家族論とメイドとオタクの関連は、またそのうち論じてみたいと考えています。

(墨東公安委員会さんからの寄稿です)


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