読書妄想録
〜墨東公安委員会の電波ゆんゆんパラダイス〜


第1回
アニメ放映記念
『エマ』の車窓から〜『英国鉄道物語』他英国鉄道史関連書籍の巻

○メイドさんみたいな機関車とメイドさんみたいな駅〜駅舎・デパート・水晶宮

 さて、メイドさんも鉄道も19世紀で大きな役割を果たしていたとはいえ、何せメイドさんは家の中で働いているばかりだから、両者が交錯する空間はあまりないのですが、これも昨年購入した高畠潔『イギリスの鉄道のはなし』(成山堂)を読んでいたら、いきなり「メイド」という言葉が出てきてびっくり仰天。

 この『イギリスの鉄道のはなし』という本は、英国の蒸気機関車を主に扱っており、機関車の塗装については特に詳しく述べられています。イギリスの蒸気機関車は塗装に大変凝っていて、緑系の色(一番多い)や青系(機関車トーマスですね)、赤系統(ミッドランド鉄道はクリムソン・レイクという臙脂のような色でした。新球団楽天のニュースを聞くたびにこの鉄道のことを連想してしまいます)、いろいろあったのですが、さすがに手間がかかるため、凝った塗装は目立つ急行列車用機関車にもっぱら施され、地味な貨物列車用機関車は大体黒一色でした。そのような黒い貨物機関車についても本書は一章を割いているのですが、その章のタイトルが何と「メイド・オブ・オール・ワーク」なのです。高畠氏いわく、
この項で紹介するのは貨物用の機関車である。機関車の総数の約4分の3を占めながら、地味で目立たない「縁の下の力持ち」として急行旅客列車を除く他のあらゆる分野に活躍し、やがて何の飾りもない「黒色(Plain Black)」に塗られて行った、それら脇役の機関車のことである。表題の「メイド・オブ・オール・ワーク」とは、そのような何にでも役に立つ働き者で気立ての良い、若い娘さんのことを言うのである。(同書P.142)
 なるほど。色が黒というのもメイド服を髣髴とさせます。しかしメイドスキーの皆さんなら、メイドの実態はなかなか大変で、しかもメイドの職種多々あれど、メイド・オブ・オール・ワーク(雑役女中)はその最たるものということはご存知でしょう。ケリーさんの家にいた時のエマがメイド・オブ・オール・ワークでした。ケリーさんは仕事に厳しそうですが、独り者だから家事自体はそれほど多くなさそうで、多分雑役女中としてエマはマシな方でしょう。これが複数名のガキんちょのいる家なぞだった日にはてんてこ舞いです。そしてまた、メイドさんは必ずしも役に立ったわけでも働き者だったわけでも気立てが良かったわけでも若かったわけでもありません。

 この本はイギリスに興味のある鉄道趣味者には結構面白い本でしたが、この箇所からも垣間見られるような英国万歳的雰囲気が感じられもします。高畠氏はボーイスカウト活動にかかわっているそうで、その関係で渡英してイギリスの鉄道に魅せられたといいます。ボーイスカウトといえば末期ヴィクトリア朝の帝国主義的風潮と密接な関係を持つ存在で、しかもボーイスカウト・鉄道・帝国主義と並べると、日本でボーイスカウト活動を創始し、鉄道政策に大きな足跡を残し、そして台湾植民地経営で大成果を上げた後藤新平が直ちに連想されます。その後藤は制服に並々ならぬ関心があった・・・(注7)。いろいろ微妙な繋がりが見えてきそうですが、高畠氏を制服趣味者と断定する訳ではありません。怪しいけど(笑)
 こういった英国マニア本は、英国への深い愛によって成り立っているため、どうしても英国贔屓になってしまう傾向がある(それは英国人によるヴィクトリア朝文化研究にも当てはまると思いますが)ということは注意した方がいいでしょう。勿論、愛と冷静な視点とを持ち合わせている人もいますが、逆に英国マンセー日本ダメという思い込みが極限に達すると、マ○クス寿子みたいなイタイ人になってしまいます(そんなこと書いている筆者がイタいんじゃないかということは敢えてスルーして)。

 さて、話を『エマ』に戻して、エマのロンドン出発を再検討してみましょう。1923年の大統合まで、イングランドには11大鉄道と呼ばれる大手11社の鉄道があり、うち10社がロンドンにターミナル駅を構えていました。『エマ ヴィクトリアンガイド』のロンドン地図にそれらの駅が一部載っています。詳しくは『英国鉄道物語』に述べられていますので、関心のある人は是非読んでみてください。というのも、それを読めば、なぜエマはヴィクトリアでもユーストンでもパディントンでもホーバーン・ヴァイアダクト(注8)でもなく、キングズ・クロスから旅立ったのかが分かるからです。

 ロンドンに限らず、各国の大都市のターミナル駅は、その沿線の地方を象徴する存在でした。日本では、上野駅以外はそのような感情が乏しいのですが(国鉄がターミナル駅を統合することに熱心だったから)、そのようなターミナル駅に寄せる感情を見事にあらわしていると、小池滋氏はE.M.フォースターの『ハワーズ・エンド』を引用しています。その中でキングズ・クロス駅に関する箇所を孫引きすると、
 マーガレットにとっては――こう言ったからといって、読者が彼女に反感を持たないでいただきたいが――キングズ・クロス駅はいつも「無限」を暗示していた。うわべだけ堂々たるセント・パンクラス駅のうしろに、ややひっ込んでいる位置そのものが、人生を物質万能で割り切る風潮を批判しているようだし、見栄えもせず、とりえのない二つのアーチが、間に不恰好な時計を支えているさまは、何か永遠の冒険へ向かうにふさわしい入口だった。その結末は成功であるかもしれぬが、成功というようなありきたりの言葉では言いあらわせない類のものであろう。(同書P.117)
 これを一読しただけで、慧眼な読者の皆さんは成程と納得されるでしょうが、もうちょっと同書の記述を読んでみましょう。

 GNRのキングズ・クロス駅は1852年に開業しましたが、その駅舎の特徴は簡潔で無駄がなく機能的な美しさがあるところなのだそうです。一方、GNRと因縁浅からぬ経緯を持つミッドランド鉄道は、1868年になってようやく念願のロンドン連絡を達成し、キングズ・クロス駅のすぐそばにセント・パンクラス駅を建設しました。後発のミッドランド鉄道は意気込んで、派手なゴシック様式寺院そのままの駅舎をおっ建てました。それは人目を惹きつける華麗さを持っている一方、悪趣味という批判も受けました。先ほどのフォースターのように。

 小池氏もフォースター寄りの意見のようで、
 キングズ・クロスはしばしば、美女セント・パンクラスの「不器量な姉」と評されたが、ターミナルの機能としては妹さんより立派であると認めてよい。設計者キュービット自身その持論として、鉄道駅の建築的効果とは、「その目的に適っているかどうか、その目的を個性的に表現しているかどうか」によると言ったそうであるが、その点から評価するとまことに見事な作品と言ってよいだろう。(同書P.134)
 キングズ・クロス駅は、地味だけど仕事はきっちりやり遂げる、まさにメイドさんみたいな駅だったのです。キングズ・クロス駅は当時の通例として、ホームを覆うガラス張りのドームを持っていましたが、これを中型のもの二基にして建設費を節約したようです(セント・パンクラスはホーム全体を一つの大きなドームで覆っています)。そのため駅正面には二つのドームの断面が並んでいますが(『エマ』2巻180ページを参照)、じっと見ているとなんだかエマの眼鏡姿を駅にしたような気分さえしてきます。

 さて、キングズ・クロス駅が開業した1852年は、パリで世界最初といわれる百貨店ボン・マルシェが開店した年でもあります。19世紀鉄道史研究の中で最も異色で面白い、ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』(法政大学出版局)は、百貨店商法とそれまでの商売を、鉄道とそれ以前の交通のアナロジーとして説明しています。両者とも「スピードアップ」という点で共通していると。鉄道は交通を加速し、百貨店は消費を煽るのです。すべてを見て把握することがとても出来ないほど車窓を猛スピードで通過する風景のように、百貨店は溢れんばかりの商品で消費者を圧倒します。だから、駅と百貨店は「流通建築」というべき共通性を持っていたのだと。

 確かにこの本の挿絵を見ると、当時の百貨店は駅に似ているところがあります。当時はまだ電気がなかったもので、採光のために百貨店の屋根はガラス張りになっていました。駅のホームの覆いと同じですね。その下に人や物が流通しているのが、19世紀の風景だったわけです。

 と、ガラス張りの屋根の下に犇く人や物、といえば、もうここまで本稿を読み続けられるほどヴィクトリア朝ファンの読者の方でしたら、当然クリスタル・パレス、水晶宮が連想されるでしょう。水晶宮がそのために建設されたロンドン万博は1851年、まさにキングズ・クロス駅建設の、そしてデパート誕生の前年です。ついでに『英国鉄道物語』に記載されているトリビアを一つ付け加えておくならば、キングズ・クロス駅正面の、二つのドームの間にある柱に据え付けられている大時計は、水晶宮にあったものの再利用なのだそうです。

 とまあ、いろいろキングズ・クロス駅と『エマ』の関連性を見てきましたが、こうしてみると駅が担う役割の重要性、キングズ・クロスの性格、そこから見て『エマ』2巻末尾の見せ場としてキングズ・クロス駅が選ばれたのには、様々な意味があるのだなあと改めて感心する次第です。

 ・・・万が一、キングズ・クロス駅を選んだ理由が「ハリー・ポッターが魔法学校に行くためにホグワーツ特急に乗った駅だから」だったら、俺は怒るぞ。(注9)

注7:MaIDERiAブックコレクション「今週の一冊」第24回参照。

注8:Holborn Viaduct ロンドン・チャタム&ドーヴァー鉄道のターミナル駅(現存しない)。この駅に通じる高架線はセント・ポール寺院のすぐ横を通る。すなわち、アニメ『エマ』オープニングで出てくる高架橋がこの線なのだ。『英国鉄道物語』P.163 に掲載されている絵が、アニメのこのシーンによく似た構図である。

注9:筆者はファンタジーなる類を読んだことが全くないのだが、何でもキングズ・クロス駅9と3/4番線なるところから発車するという設定だそうで、同駅には現在観光客用に「9と3/4番線」の看板があるとか。誰か対抗して、エマの等身大ポップを駅に寄贈する漢はいないものだろうか。

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