ブックコレクション

墨東公安委員会の
「今週の一冊」
〜雑破業からマルクスまで〜

第27回〜第39回(3クール目)


#今週の労働運動(連載3クール完結記念特大版)

 阪神バスはもと阪国バスという小さな会社だったが、昭和24年阪神電鉄に吸収されて今の名称になった。そのとき、会社はバスの運転士にも車掌にも制服を支給しなかったので、いまでは語り草となっているゆかいな制服闘争が、「制服を支給せよ」というスローガンのもとに行われた。はたらくのに制服が必要だと言うのにくれないのだから、なにを着ようと自由だということになる。そこで車掌はわざと赤や黄色や青のケバケバしい原色のブラウスを着て、下駄をつっかけて乗務した。運転士もできるだけ目に立つ恰好をした。ズボンの上に天理教の文字を染めぬいたハッピや、八百屋のハッピを着込んで、その裾を運転台のうしろに垂らしたりした。いやでも乗客の注目を惹かずにはいない。どうしてそんなものを着るのだ、と尋ねる客が出てくる。そこで、これこれの理由で制服の獲得闘争をやっているのだ、と説明して、乗客の理解と協力に訴える。世論へのたくみなアッピールである。

村上信彦『紺の制服 バスの女子車掌たち』三一書房

 1959年に出版され、はじめてバス車掌の悲惨な労働環境を公にし、当時大きな反響を呼んだと言われる本です。先々週紹介の『バス車掌の時代』も本書の影響を大きく受けています、というか書いている問題提起や主張はほとんど同じで、同書は本書に写真を入れて内容がいくらか詳しいというだけの違いでしかありません。村上信彦氏は作家かつ服飾史家で女性史にも造詣が深く、『服装の歴史』『大正の職業婦人』などの著作で知られています。『服装の歴史』はこの分野必読の文献といえるでしょう(先週紹介の井上章一氏は、その著作中で旧来の女性史や服飾史と異なった観点を打ち出したと述べておられますが、村上氏が旧来の観点の一つとして想定されているのは確実です。もっとも筆者が思うには、村上氏の分析の枠組みはなお有効といえます。理由を述べている紙幅はありませんが)。
 それだけに「制服」という文字を題名に盛り込んだ本書は、バス車掌の制服の意味付けや、女性の労働問題におけるバス車掌の地位などの考察が深く、読みどころの多い本ですが、残念ながら入手は極めて困難です。
 本書には「制服の魅力」という一章が設けられ、村上氏の制服観が述べられています。一ヶ所そこからも引用してみましょう。
 バスの車掌の制服は実用のためにつくられたものだから、なんの技巧も介在する余地がなく、おなじ紺一色の同じ密着感を保っている。そして、この上衣とズボンのバランスから、なんの飾りもない制服が、不自然なおしゃれ着よりもいきいきとした魅力を発散させている。その効果は一切のムダを排除した徹底した機能性から生まれたもので、装飾がおしゃれであったこれまでの伝統にたいする革命である。
 機能的であるということは、着る人間を中心に考えられたということであり、それは着る人間の生活と一体化して魅力を生じさせる。デザインばかり優先した服装は、肝腎の人間をおいてきぼりにした、服を売る資本の利益に奉仕したものに過ぎない。村上氏の主張を纏めるとこうなります。誠に含蓄ある言葉ですが、服飾史と女性史に通じた村上氏が言ってこその台詞であり、制服マニアの人間が言ったって説得力ないですな(苦笑)

(連載第39回)


#今週のパンチラ

 東京では一九二〇年代から、行先案内などをこなす女たちが、バスに採用されていた。いわゆるバス・ガールである。その出現は、あらたな婦人職業の擡頭として、話題をあつめている。
 つぎのように、彼女らの「イット(性的魅力)」をことあげする論客もいた。
「スカーツが短かいから、少し前こごみになったのを後方から見ると、ズロースが充分に判る。そこに性的魅力があって、それを当てこんでバスに乗る客があったとしたら、女性のイットを売り物にして、客を釣る事を考えた人の頭は確かに先見の明がある」(磯部真寿造『情怨暴露』一九三〇年)
 じっさいに、どれほどの男が、バス・ガールのズロースで魅了されたかは、わからない。またどれほど、その刺激が強かったのかも、不明である。しかし、そこに「性的魅力」をかぎつけた男がいたことは、うたがえない。

井上章一『パンツが見える。 羞恥心の現代史』朝日選書

 『霊柩車の誕生』『美人論』などで著名な井上章一氏の最新作です。女性の「パンツが見える」ことが何故恥ずかしいことになったのかを、様々な雑誌の記事や小説の文章を頼ってあとづけた一冊です。大体大正時代頃までは、日本の女性はパンツに類する下着を着ていませんでした。何かの拍子に見えてしまうのはパンツどころじゃなくて…そこにズロースが登場したのですが、その時点ではズロースをはくことで以前は見えてしまう可能性のあった箇所が見えなくなるということが評価され、ズロース自体が見えていることはそれほど大した問題とはされていませんでした。下着を見られる側がそれを恥ずかしく感じるようになったのは、1950年代以降であると井上氏は述べておられます。ただ、見る側がそれに価値を見出していたのは、人によってはもう少し早かったようです。その実例が上記の引用部、先週紹介したバス女性車掌のズロチラ譚であります。筆者は本書を読んで思ったこと、「井上氏に是非『スパイスの秘境』のレポートをして欲しい」…カレーミュージアムのメイド服ウエイトレスで著名な『スパイスの秘境』は、またスカートの下からドロワースが見えることでも知られております。でもあれは見せるためのドロワースで、あの下には多分別途ショーツはいてるんでしょうね(情報求ム)。一体あのドロワースはどういう文脈に位置づけられるのでしょうか。それはまあとにかく、自らを好事家といいきる井上氏のスタンスも面白い一冊であります。あと、本書225ページの写真は…

(連載第38回)


#今週の洋装

黎明期におけるバスの女子車掌は物珍しさも手伝って大変な人気であった。これは、当時の女性の職業の選択の幅の狭さとも関係があるのだと思う。特に街頭で見かける「職業婦人」の姿は希少価値があった。
 洋装の制服でさっそうと高級な乗り物イメージのバスで働く独身女性が好ましく先端的な存在として見えたことは間違いない。
 あたかも、一時代前のスチュワーデスを想像すれば当たらずといえども遠からずといった感じだったのだろう。
 市バスも制服を三越に注文してつくらせた。三越意匠部のフランス人ミス・ルースの考案(デザイン)による紺サージのワンピース、深紅のソフトカラーの制服は三越の番頭が一人ひとりの採寸をして仕立てるという念の入れ方でこれが今でいうパブリシティ効果を大いに発揮したことは間違いない。

正木鞆彦『バス車掌の時代』現代書館

 現在路線バスはワンマンが当たり前になり、「ワンマン」という緑地に白い文字の表示もいつのまにか消え失せましたが、かつてバスは車掌を乗せる義務があり、その車掌は殆どが女性だったのです。バスの女性車掌は大正なかばに登場し、洋服を制服に採用したことはエポックメーキングな出来事でした。しかし上記のような輝かしい時代はすぐに過ぎ去り、バスの普及と共に車掌の労働環境はどんどん悪化していきました。運転手は本来は車掌の業務でない車体の清掃を車掌に押し付け、会社は車掌が運賃をネコババ(「チャージ」といいます)するのではないかと疑ってみぐるみ剥いで身体検査をやり、乗客は「たかがバスガール」と馬鹿にし、結果として車掌は求人難となってますます労働強化を強いられる悪循環に陥り、遂にワンマン化されてしまったのです。こうして、女性の洋装制服のはしりであったバス車掌はほとんど無くなってしまったのですが、その実態を元車掌への取材で構成したのが本書です。バス車掌自体は過去の職業と言っていいですが、この当時から無意味な規制や過剰な放送(バス車掌の頃は肉声ですが)とか乗客のマナーとか、今日の公共交通での問題がちっとも変わっていないのは呆れるほかありません。

(連載第37回)


#今週のカール・マルクス

 個人的興味の観点では、その後(引用注:ロンドン亡命後)のマルクスには長い起伏の少ない人生が待ち受けているに過ぎない。一家は貧困の生活を強いられた。追い立てられ路傍をさまようこともあった。生まれた男の赤ん坊は死亡した。この頃マンチェスターで父親の工場の一つを経営していたエンゲルスは、金銭を渡してマルクス一家の生活を援助した。(中略)
 マルクスはロンドンで共産主義者同盟に参加し、やがて「裏切り者」の粛清という得意の活動に没頭しはじめた。その間、さらに二名の子供が死亡した。一方、メードのヘレン・デミュートという女性がマルクスの種を宿した。しかし、マルクスは革命の指導者としての威厳を保つため、父親はエンゲルスという話を言いふらした。

コリン・ウィルソン(関口篤訳)『世界残酷物語』青土社

 先週に更に引き続いてドイツ系のお話。コリン・ウィルソンは『アウトサイダー』などで名高い作家ですが、本書は人類の歴史を創造性と犯罪性の相克という独自の観点から叙述したものです。表題から連想されるような、ただ単にえぐい話を集めただけの本ではなく、全体を通じての一貫性があって面白く読ませますが、まああんまり鵜呑みにするのもどうかという節はあります。
 さて、先週、19世紀ドイツでは、「あるべき道徳的な家族像」がドグマと化し、女性が働くことが嫌われてメイドさん(マークトさん)の地位低下を招いたということを書きましたが、別な面でこのドグマが必然的に齎した結果として、あるべき家族像に背くような行為は指弾されるということがあります。代表例は離婚ですが、結婚によらない子供もまたその一つでした。先週紹介の『ドイツの家族』は、マルクスのこのエピソードについて、こう述べています。
 当時の市民的家族秩序は、これほどの社会的政治家にとってさえ、自由な生活をさまたげる動かし難い壁と映っていたのである。
 というわけで、メイドさんに生ませたフレデリックを、マルクスは生涯認知しませんでした。それだけ家族に関する観念が強固だったということですが、「路傍をさまようこともあった」生活でもメイドを必要としたということも、やはりこの種の観念に由来するのでしょうか。
 なお、数点マルクスの伝記に目を通しましたが、それらの本ではヘレン・デミュート(デムート)の肩書きは「家政婦」となっていました。写真もあったけど…まあ、「家政婦」かな…。

(連載第36回)


#今週の第二帝国

 当時(注:19世紀ドイツ)工場で働いていた女たちの状況は、もっとずっとひどかった、女中の場合はそれでもある程度は家に守られていたし、充分に食べるものもあった、それに分別ある善良な主婦もまた確実に存在したはずだ、こう反論することもできるだろう。だが〔問題は、〕社会システムがこの集団の地位低下を招いたのだということ、そしてそれによって同時に、女中たちの質自体をおそらく低下させたのだ、ということである。(中略)
 シャーロッテ・ヴェールクは1969年になって、ある文芸欄でこう安心の溜め息をもらしているのである。
 「もう二度と、不安そうな田舎娘が旅行かごを手に、煙で黒ずんだ駅のホールに立ちつくすこともないだろう。もう二度と、『奥様』連が彼女の体力や能力を非人格的に吟味することもないだろう。そしてもう二度と、こきつかわれた一日のあげく冷たい、明かりもなく、空気もとおらない小部屋で安息のない眠りにつくこともないだろう、」と。

I・W・ケラーマン(鳥光美緒子訳)『ドイツの家族 古代ゲルマンから近代−』勁草書房

 先週は第三帝国だったので、今週は一つ溯ってドイツ第二帝国のメイドさん、ドイツ語ではマークトというそうですが、そのヴィクトリア朝と同時期のドイツに関する記述を引用してみました。本書は表題の通り、家族の有様を通じてドイツの歴史を述べた本です。「19世紀の『小家族』」という章に「女中たち」という節があり、そこから引用しました。
 19世紀市民社会といっても、英国とドイツではその形成ぶりにいろいろな相違点があります。一般的に言えば、フランス革命を一つの頂点とする市民社会の発展は、前近代の大家族を解体し、より自立した個人を形成するもののはずです。しかしドイツでは、大家族を解体しても、「小家族」が家父長的な新たな権威のもとに再編されていったのでした。硬直化した、あるべき道徳的な家族像というドグマがはびこり、男女の役割分業は融通を全く失ってしまいました。その結果、「女性の仕事」というのは市民社会に於て嫌悪されるようになり、かくして家事には使用人を雇うことがその社会では必須とされながら、同時にメイドさん、いやマークトさんの地位の低下を導いたのでした。
 他にも、クリスマスにサンタクロースが登場してくる過程など、一々紹介するには紙幅が足りませんが、いろいろと学ぶところの多い一冊です。なお本書126ページ所載の絵・「ベルリンの女中たち」には三人の女中の姿が描かれています。その中の真ん中の女中の姿は、我々がぱっと思い浮かべる「メイドさん」にかなり近い姿です。

(連載第35回)


#今週のナチス・ドイツ

 軍需相シュペーアは、「四ヶ年増産計画」管理者である空軍総司令官ゲーリング元帥の承認があれば、工場生産にウクライナ女性を活用する旨を(労働問題責任者ザウケルに)承知させた。
 元帥は、あっさりと承認した。
 すでにドイツの主婦の一部は、軍需生産に徴用されている。その負担を軽減するための措置として、ウクライナ女性の導入に賛成する、というのが、その理由であった。
 軍需相シュペーアは喜んだが、その喜びはす早く失望に転化した。
 責任者ザウケルは、ウクライナから約五十万人の女性を徴発してきたが、元帥ゲーリングは、それら女性を工場には配置せず、なんと党、政府、軍の幹部宅の“女中”にわりあてたのである。

児島襄『第二次世界大戦 ヒトラーの戦い』文春文庫

 文庫にして全十巻、大著であります。膨大な資料を活用して、ヒトラーを軸に第2次世界大戦を描いた作品ですが、本書は時間の進み方が後になればなるほど遅くなるという傾向があります。全十巻の厚みは殆ど同じなのに、最後のベルリン攻防戦で一冊使ってたりします。
 さて、大戦中、ドイツは占領地から多くの人々を連行して来て働かせました。時にその労働環境は極めて劣悪であり(連載第7回『クルップの歴史』等参照)、戦後の裁判で大きな問題とされました。引用文中のザウケルも処刑されております。しかしまあ、戦争中だというのにどういう労働力の配置をしてるんだか。ナチスの教義では女性は「産む性」であって、生産労働は男子のみ従事すべきものであると考えられていたといいます。
 ところで、ウクライナの田舎からベルリンなんぞへ連れられてきた女性たちは、農村とは比べ物にならぬ都会の(しかもロシアより進んだヨーロッパの)文化に触れて、段々垢抜けていったそうですが、その風俗もソ連軍が反攻に転じドイツに迫るとまた元通りになった、なんてエピソードも残っております。その独ソ戦が始まったのが、1941年6月22日、今日はその61周年に当たります。

(連載第34回)


#今週のテレパス

 病人の看護を幸江から引き継いだ七瀬は、病人の望むところを病人が口にする前に悟れるという能力を持っていたわけだから当然理想的な看護婦であり他に望み得べくもないメイドである筈だった。ところがその七瀬に対してさえ恒子は口やかましく、病床から七瀬に毒舌を吐き、無理難題を強いた。(中略)文字通り、「病人の心を先へ先へと読む」ことのできる七瀬の、どんなに至れり尽せりの世話に対してすらも、ひとつことを病床で執念深く反芻し続ける恒子の心の中では、あとになればなるほどあれには悪意があったのだと解釈されてしまうのである。

筒井康隆『家族八景』新潮文庫

 筒井康隆のよく知られた作品です。ご存知の方も多いと思いますが、人の心を関知できるテレパシーの持ち主・火田七瀬が、お手伝いさんとなって様々な家庭を巡り歩き、一見平穏な人々の心の深層を抉り出す、本当に恐い物語です。
 さて、筒井康隆といえば、いわゆる差別表現を巡る「言葉狩り」を批判して断筆に踏み切ったりしたことでも知られています。そして、このサイトで散々使いまくっている「女中」という言葉は、テレビ局の「使用すべきでない言葉」の中に指定され、「お手伝いさん」などに言い換えるように指示されています。では本書の中で、筒井康隆は七瀬の職業のことをどう書いているのか調べてみると、「お手伝い」が26回、「女中」が50回使われています。筒井康隆はこの家事使用人という職業を、基本的には「女中」という語で表現していると思われます。ただ、本書は八編の連作短編から構成されていますが、「お手伝い」「女中」という言葉が連発される話があるかと思えば、ほとんど出てこない話もあったりして、場合に応じて使い分けているともいえます(紙幅が無いので詳細な分析は別の機会に)。
 引用部は、唯一「メイド」という言葉で七瀬の仕事を表現した部分です。何でここだけ「メイド」と書いたのか、それはそれで非常に興味ある論点ですが、ああこれも分析するには時間が無い。
 なお、火田七瀬はこのあと『七瀬ふたたび』『エディプスの恋人』に再登場しますが、筆者は『家族八景』しか読んでいません。だって、『家族八景』の最後で、七瀬はお手伝いさん辞めちゃうんだもん。

(連載第33回)


#今週の手練手管

 第九章 腰元
 (中略)
 大きなお邸の奥方附だったら、その奥様の半分も美しくなくても、おそらく旦那様から可愛がってもらえる。この場合、気をつけて絞れるだけは絞り取ること。どんな一寸したいたずらでも、手を握るだけでも、先ずその手にギニイ金貨一枚入れてくれてからでなくては、許してはいけない。それから徐々に、向うが新しく手を出す毎に、こちらが許す譲歩の程度に比例して、せびり取る金額を倍増にして行く。そして、たとえ金は受取っても、必ず手向いをして、声を立てますとか、奥様にいいつけますとか、脅かしてやる。お乳に触る代が五ギニイなら、たとえ必死の力で抵抗しているように見えるにしても、安い買物だ。しかし、最後のものは、百ギニイ或いは年二十磅の終身のお手当以下では、決して許してはならぬ。

ジョナサン・スウィフト(深町弘三訳)『奴婢訓』岩波文庫

 その昔、渋澤龍彦は「人の生きる気力を奪うような本こそが悪書で、普通の人間の性欲を刺激するような本はちっとも悪書ではない」というようなことをどこかで述べていましたが、それなら『ガリヴァー旅行記』はどっちかつうと悪書なんだろうなあ、などと思うのであります。それなのに子供向けに読ませてるんだから変な話ですよね。スウィフトは文学者になろうとは思っておらず、その文才を生かして政界で活躍することが本領でした。その武器が痛烈な諷刺なわけで、ガリヴァーに出てくるヤフーはその一つの究極といえます。
 スウィフトがその諷刺の鉾先を召使に向けたのが本書です。そもそもスウィフトは、真面目に使用人に教えを垂れる文章を書こうとしていたようですが、逆に使用人がしでかすインチキやサボりの手口を皮肉として書いたほうが効果的と思って著したのでした。『奴婢』なんて言葉が使われていますが、もともと18世紀前半の書物だし(原題は Directions to servants )、訳書は1950年出版なので、こういう言葉づかいなのでしょう(なお原文の旧漢字は修正しました)。執事(召使頭と訳していますが)からはじまってコックや従僕など16章に分けて述べられています(ただし未完成の章も少なからずあります)。小間使い(八章)、引用した腰元、女中(十章)あたりが女性の使用人についての記述ですが、一番力が入っているのはそこではなく従僕の章です。とはいえどの章も皮肉に満ち満ちております。あと汚い話も多いです(スウィフトの趣味かもしれません)。
 引用部は腰元と古風な言葉が宛てられているものの、要するに侍女 Lady's maid の章です。ギニイ(今はギニーと書く方が一般的)とは21シリングで、磅というのはポンド(=20シリング)の当て字です。100ギニーは相当に大金ですが(産業革命前の通貨の換算は不可能に近いですが…)、首尾よくふんだくれたケースはどれだけあったんでしょうね。スウィフトは女性嫌悪の傾向があるようなので、それを踏まえて読む必要がありそうです。

(連載第32回)


#今週の不義密通

 その夜、女主人は不自然にならないように女中のベッドに休んだ。これからどんなことが起こるのか、想像もできなかった。ベッドに入ってしばらく、嫉妬のためにまんじりともせずにいると、だれかが部屋へ入ってくる物音がした。一瞬、彼女は泥棒ではないかと思い、身も凍るほどの恐ろしさで声も出なかった。そのとき闖入者が、「メアリー、起きているかい」と言うのを聞いた。まぎれもなく夫の声だった。彼女は寝たふりをして成り行きにまかせることにした。
 夫はベッドに入ってきた。だが夫に抱かれながらも、この人は私のことを女中だと思ってこんなことをしていると考えると、彼女は楽しまなかった。そしてただ夫になされるがままになって耐えた。

チャールズ・ジョンソン(朝比奈一郎訳)『イギリス海賊史』リブロポート

 1724年に出版された、海賊どもの列伝です。作者のチャールズ・ジョンソンは、一説には『ロビンソン・クルーソー』を書いたデフォーではないかと言われているそうです。大変面白い本ですが、リブロポートが潰れちゃったので(面白そうな本いっぱい出してたのに…合掌)、古書店巡って探すしかなさそうです。
 さて本書には、メアリー・リードとアン・ボニーという女性の海賊の話が載っておりまして、上の引用部はアン・ボニーの出生にまつわる話の一節です。上記の如き御主人様と女中の不義密通の子が長じて女海賊になったのでした。この御主人様はこの事件で奥さんと喧嘩別れして、しまいに女中さんと同棲したので世間に批難され、一家でアメリカに移民したそうです。
 ついでですが、もう一人の女海賊メアリー・リードの人生行路も相当に壮絶で、13歳のとき女中奉公に出たものの、この仕事を嫌って水夫になり、ついで歩兵になり、そんでもって騎兵に転業し、そこで同僚の兵士と結婚したものの夫が死んだのでまた水夫になって最後に海賊になったとか。話としてはこっちの方が面白いですね。
 余談ですが、杉浦昭典『帆船』舵社 ではこの二人について「当時描かれた絵姿から想像して、それほど魅力的な女性達ではなかったと考えられている」と述べております。まあ、そういうもんでしょうな。

(連載第31回)


#今週の軍事革命(連載30回記念蘊蓄特に多め号)

 もちろん、移動中の軍隊は兵員だけからなっていたわけではない。(中略)従軍酒保商人(サトラー)や小間使いがいる。これらの小間使いは女性が多く、軍隊内で売春、洗濯、小売り、裁縫、こそ泥、傷病者の介護等々、さまざまな役割を果たしていた。これらをひっくるめた軍属(キャンプ・フォロア)は、ときには兵員総数と同数、もしくは上回ることさえあった。(中略)1646年のあるバイエルン軍二個連隊の構成員はつぎのようになっている。歩兵480名に女性と子ども314名、小間使い74名、酒保商人3名。481名の騎兵には、小間使いが236名、女性と子ども102名、酒保商人9名。そしてこの961名の戦闘員には1072頭の馬もついていた。

ジェフリー・パーカー(大久保桂子訳)『長篠合戦の世界史 ヨーロッパ軍事革命の衝撃1500〜1800年』同文舘

 軍事革命 military revolution というのは、多くの方にとって馴染みの無い言葉でしょう。これは近代初期、軍事技術の革新(火器の登場)によって戦争の方法が変化し、それに対応した軍事力の肥大に対応する中で近代国家がその態勢を整えていったという考え方です。その軍事革命について、もっともよく纏まった概要を示しているのが本書です。原題はずばり The military Revolution で、ヨーロッパを中心に軍事革命が世界各地にどのような影響を与え広まっていったかまでも述べられ、その一環で日本の戦国時代も出てくるため、上のような邦題がつけられたようです。しかし、戦国史の専門家曰く、長篠合戦はヨーロッパ式火力優先軍隊とは全然違うので、長篠の信長が軍事革命の担い手であるかのごとき本書の記述は誤りであるそうです。これは著者のパーカー教授の責任というよりは、彼に日本史のレクチャーをした人々の勘違いによるもののようですが。訳者の大久保桂子氏は西洋近世史の方なので、その辺りに気が付かなかったのか、中央公論社の『世界の歴史』の中で、大久保氏が軍事革命についての説明を述べた箇所でこの誤謬を繰り返してしまっているのは、誤謬の再生産に繋がる恐れがあります。
 てなことは余談でして(笑)、本題は軍隊とメイドさんの関係です。ミリオタとメイドスキーの縁は以前問題提起しておきましたが、その昔の軍隊はメイドさんを引き連れて戦争に行っていたという、今日から見ればのどかな事実がありました(古代なんかでもよく見られますが)。ところで引用部には、「これらの小間使いは女性が多く」とありますが、これはよく考えると妙な記述で、女性が多いもなにも、小間使いとはそもそも女の召使のことを指すことばなのです。そこで原文を調べてみますと、
 the troops required sutlers and servants (many of the latter being women who carried out a variety of functions in the army: prostitution, laundry, selling, sawing, stealing, nursing...)
 というわけで、原語は servants なので、召使とでも訳す方が適切だったかもしれません。また、バイエルン軍編制中の「小間使い servants 」と「女性 women 」の相違は明記されていませんが、特定の個人の雇い主を持っているのが前者で、後者は不特定多数の兵士相手に商売していると言うことではないかと思います。
 色々難癖をつけましたが、それは本書のごく一部、この本はとても面白いので、歴史好きの人には大いにお勧めしておきます。訳も軍事用語の訳がきちんとしていて、大変読みやすいものとなっています。まあメイド趣味にはあんまし関係ない本ですが、prostitution(売春) がそのお仕事の内容として真っ先に挙げられる servants(大部分が女性)がいたということは、なかなか興味深いと思う人も多いのではないかと思います(笑)

(連載第30回)


#今週の労使関係

 大邸宅の女主人はキッチンメイドと直接には接触しなかったものの、女主人の指示は、直接的なものであれ、コックを介したものであれ、キッチンメイドの人生を悲惨なものにする場合がままあった。「親子関係をのぞけば、雇い人と使用人との間にかつて見られた関係ほど美しいものはない」という、的外れな考えがヴィクトリア朝時代にはあったけれども、雇い主と使用人の関係はしばしば緊張した。そしてそのような不協和音は、たとえ書物に記載されていなかったとしても、以下のように人間の脳には記録されていた。ある婦人の話だが、かなり前にキッチンメイドとして働いていた、この婦人の祖母が子ども部屋に出す食事の下拵えをしていたときに、うっかり指でその料理に触れてしまい、それで女主人からその指に庖丁を突きつけられたという。

ジェニファー・デイヴィーズ(白井義昭訳)『英国ヴィクトリア朝のキッチン』彩流社

 これも定番中の定番の一冊ですね。というわけで説明省略…というのも手抜きですから(先週と同じ展開)、ちょっと思ったことなど蛇足に。本書はヴィクトリア朝時代のイギリスのキッチンとそこでの営みについて纏められた書物で、台所で働く使用人についても一章を割いています。「非常に幼い使用人」の写真などヴィジュアル面が充実しているのが特徴ですが、それはそもそも本書がBBCの番組の企画として始まったことと無縁ではないでしょう(本書の著者は番組の副プロデューサー)。BBCの番組で、ヴィクトリア朝のキッチンをそのまんま再現して当時の食文化を蘇らせたのだそうですが、さすがBBC、凝った企画を立てるものです。日本ではそのような本格的歴史番組はなかなか出来そうにありません。『その時歴史は動いた』じゃねえ。本自体の濃い内容(台所関係メイドに関しては余す所なし)もさる事ながら、こういった本を生み出す背景にも感じ入った一冊なのでした。あと引用部分ですが、雇い人と使用人の関係に関する考えが、いかにもヴィクトリア朝じみた偽善的な味わい(笑)で、いい感じですね。

(連載第29回)


#今週の衣料事情

 一九一五年のクリスマスには、バートン様の御一家は、全員で奥様の御実家へおいでになりました。ベイジングストークの近くのシモンズ様というのがお祖母様で、子供の面倒を見てもらいたいからと私も同行を命じられました。
 シモンズ様のところでは、召使い全員に半クラウン銀貨(五シリングに相当)を封筒に入れてクリスマス・プレゼントにするならわしがありました。私も頂戴しました。バートン家でも使用人にプレゼントをなさるのが恒例で、たいてい女中用の制服でした。これは多くのお屋敷でなさったことで、既成服を贈るか自分で仕立てるための布地を渡されるのです。エプロンのときもありました。

シルヴィア・マーロウ(徳岡孝夫訳)『イギリスのある女中の生涯』草思社

 メイド系史料本としては定番なので、解説は省略します。・・・というのも手抜きなので、筆者の偏って視点からコメントを若干。本書は20世紀初頭の英国で女中奉公していた女性への聞き取りをもとに纏められた貴重な証言です。個人的に面白かったのが、第一次世界大戦へのまなざしでした(戦史好きなもんで)。具体例を述べているときりがないのですが、同じ屋敷で働いている男性の召使が出征したり、オーストラリアから来た兵士と出会ったりする話がある割に、どうも生活自体に戦時下の影響を余り感じないのは、平時から女中さんの生活が貧しかったから不自由を感じなかったからでしょうか。余談ですが、本書で自らの経験を語った女中・ウィニフレッドは、兵士に対してかっこいいと憬れていたのに、その母は兵隊なんか人間のクズと信じ込んで兵隊と交際なんぞ断固認めませんでした。多分一次大戦までの英陸軍が、対植民地戦争しか想定していない志願兵による軍隊で、徴兵制による軍隊ではなかったためにこういう見方が生まれたのではないかと思います。あと本書でちょいとばかり気になるのが、訳者後書きを読むとどうも本書を歴史記録というより「教育のための手引き」みたいに売り込もうとしてる節があるところです。こういう面白い史料を、説教のネタのような観点で使うのは、せっかくの歴史の三昧境へ分け入る機会を逃すことになってしまうのではないかと、筆者などつい考えてしまいます。まあ考えすぎかもしれませんが、最後のページにマー○ス寿子の本の宣伝なんか載ってると、ほら、なんか、心配になってしまって。

(連載第28回)


#今週の英国紳士(帝国メイド倶楽部 参 参加記念特大号)

働く女性たちに対する彼の関心の寄せ方は精力的で、なにかに憑かれたとでもいうべき感があった。ルイス・キャロル(C・L・ドジスン師)は、「私は少年以外の、こどもが大好きだ」という言葉で、彼自身の偏った傾向を暴露した。そしてアーサー・マンビーは、男性以外の、働く人間を好んだのである。

マイケル・ハイリー(神保登代・久田絢子訳)『誰がズボンをはくべきか ヴィクトリア朝の働く女たち』ユニテ

 本連載も3クール目(笑)に入りました。この本は今までメイド趣味の人々にあまり注目されてこなかったようですが、筆者としてはメイド趣味者必読最優先文献にしたいくらいお勧めの一冊です。内容はサブタイトル(英語の原題は“Victorian Working Women”)に示されている通り、ヴィクトリア朝時代の働く女性についての本ですが、本書はアーサー・マンビー(1828〜1910)という男が残した、働く女性についての膨大な記録に依拠しています。
 マンビーはれっきとした「有閑階級の人間」でしたが、自らと同じ階級の女性ではなく、ワーキング・クラスの女性の働く姿に多大な関心を示していました。彼は日々街で出会った女中や女工たち、あるいは地方に足を伸ばして炭鉱で働く女性や女漁師といった人々の働きぶりを観察し、話を聞き、それを日記に記録し、また写真を集めました。そしてマンビーはハナ・カルウィックというメイド(マニアの方向けに説明を加えますと、彼女は Maid of all work だったそうです)と出会います。マンビーは彼女と親密になり、ハナに色々な服を着せて写真に撮ったり、首輪つけてみたり、長靴磨かせたりなどという、19年に及ぶ密かな交際の末、秘密裏に結婚します。当時の社会通念はそれを公にすることを困難にするものでしたから、その生活は幸福とは評価しがたいもののようでしたが。マンビーがハナに課した役割は、女性は男性に従属し奉仕しなければならないという価値観に貫かれていましたが、その価値観を涵養したのは、皮肉にもルソーに代表される啓蒙と近代科学の思想でした。これに関しては、ロンダ・シービンガー(小川真理子他訳)『科学史から消された女性たち』工作舎 をご参照ください。
 マンビーはその豊富な女性労働に関する知識から、政府の労働政策に携ることもありました。しかし、彼が働く女性たちを追いつづけた意志の源泉は、決して政治への関心や社会正義ではなかったのです。マンビーはただ、自分の楽しみのためだけに、記録を残しつづけたようです。それ故に、彼について、女性差別や社会の身分構造に全く無関心であったという厳しい批判が、フェミニズム研究などの観点から寄せられています。それは確かにそうでしょう。しかしまた同時に、彼によって貴重な記録が残されたことも事実なのです。ウィリアム・ブレイク曰く。
「過度という道こそ叡智の殿堂に通じる」
 マンビーのその性格を端的に現したのが引用部です。本書にはメイドさんの様々な描写があり、引用に値する箇所も多いのですが、多すぎて判断に迷い、敢えてこの箇所を選びました。
 纏めれば、この本はメイドさんに関する貴重な資料(ハナの日記が採録されており、写真もきわめて豊富)であると同時に、19世紀イギリスに存在した、一人の“メイド等働く女性萌えヲタク”の記録でもあるのです。それ故に、筆者はこれをメイド趣味の皆様に強く推薦するものであります。1986年出版の本ですが、現在でも入手は可能です。

(連載第27回)

第14回〜第26回(2クール目)

第1回〜第13回(1クール目)

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