女中類従


その4
殻の中の夜鷹、あるいは家政婦残酷物語

 「パケ買い」という言葉があるそうで、つまりパソコンゲームなどでパッケージを見て反射的に買ってしまうことなのだそうである。そしてこの言葉には「発作的に買って損した」という含意が往々にしてある。例えば「パッケージに『メイド』と書いてあるから買ってみたら××だった」というような。
 もっとも筆者はパソコン/コンシューマ問わずコンピュータゲームをあまりやらないので、特に美少女系は全くと言っていいほどなので、そのような経験をしたことはない。筆者が手痛い経験をしたのはノベライズでのことだった。ある時『殻の中の小鳥』という本を見つけて(これがゲームのノベライズだなんて全く知らなかった)、表紙の絵がとても可愛かったので買いこんだのである。ここで注意せねればならなかったことは、この本には帯がついていたということである。すなわち表紙の下およそ30%が隠蔽されていたのである。それが如何なる事態を招いたか。帰宅して何の気なしに帯をめくった筆者は愕然としてこう呟いた。
「ミニスカートじゃないか!」

 この手のノベライズとしては、『殻の中の小鳥』の出来栄えは決して悪くないんじゃないかと思う(元のゲームをやったことはないが)。特に筆者にとってもっとも「萌え」な台詞は、やはりアイシャのこのことばに止めを刺す。
「ストライキを起こすのよ」
 しかしブルジョアジー・ドレッドの手先であり調教師という名の労務対策者フォスターの暴力によって、そしてクレアの階級的脱落により、アイシャの革命的闘争は挫折し・・・そういう小説じゃないって。しかしまあ、この台詞はよかった。これに匹敵するのは柴田翔『されどわれらが日々―』(芥川賞受賞)で女子学生が「可愛い声」で言った次の言葉くらいしか思い付かない。
「党がそんなことするわけないわ―」
 可愛い声との落差に感じ入ったわけだけれども、それを落差と感じてしまう時の流れがまた心に沁みてくる。

 話が滅茶苦茶になってきた(いつものことだが)ので無理矢理先に進めると、『殻の中の小鳥』の続編で『雛鳥の囀』というのがある。これまたゲームについては何も知らないけど、ノベライズに関して言えば、出来栄えは前作をかなり下回ると思う。前作よりなんというか、記述がうざったいのである。無論考証を求めるなどナンセンスの極みだけれども、しかし前作では流して読めたことがこの本ではいちいち引っ掛かるのである。これは作者の力量の差と思うが奈何。
 筆者は
「鉄道王になる」ゲームは大好きだけれども、「鉄道王が引退してメイドさんをいぢめるゲーム」はすることはないだろう。
 さて、『雛鳥の囀』ノベライズの中で、いきなりメイドにされてしまった少女を、調教師フォスターが調教の初段階として、その処女を頂いてしまうシーンがある。娼婦なら初物というのはそれはもう最強の付加価値なので、これは横領行為なんじゃないかと筆者は思ったのである。例えばクリミア戦争時代のイギリスを舞台にしたM・クライトン『大列車強盗』の中で、強盗団の首魁ピアーズが、銀行の支配人の持つ金庫の鍵を狙い、性病に悩む支配人に処女を斡旋して隙を作らせるエピソードがある。性病を治すには処女と交わるのが有効という迷信があったのである。

 迷信はさて置き、戦前の『婦人公論』を漁っていたところ、以下のような記事を得た(1933年5月号)。そこに登場する人物たちの状況を踏まえれば、ある意味『殻の中の小鳥』を彷彿とさせるエピソードではないかと思い、全文ノーカットで紹介する次第である。少々長いけれども、是非とも最後まで読んでいただきたい。例のごとく新字体・現代仮名使いに直し、読みやすいように若干の改行を加え、また文中の××は原文の伏せ字であり、人物の年齢は数え年である。

不思議な派出家政婦の手記
―都にあこがれて来る若き姉妹へ―

中村豊子(本人肖像写真あり)

独力ヲ以テ成功セントスル自覚女性ハ来
レ衣食住総テ当方負担ニテ最低月収五十
円以上ヲ保証ス容姿十人並特ニ地方出ノ
方大歓迎!
東京本所区××町××番地
(仮称)城東家政婦倶楽部

 そういう広告文が、やっと女学校を卒業したばかりの、山里の十九娘をば、まるで天国からの招待状のような魅力でひきつけます。
 地方の若い女性が抱く帝都への憧れ、それは或時期にむしばむ種痘のそれのように、うら若い乙女心をよぎる殆ど絶対的な洗礼だと断定しても敢て誇張ではないかも知れません。熱病に憑れたあの奔放な情熱をただ東京への空ろな憧れに向ける。東京―その空気を呼吸するだけで、もう近代的な感覚に再生したかのような―その憧れ―まだ見ぬ東京の姿は余りに華(はでや)かで美しい。

 私も亦、そういう山里娘の一人でした。しかも人より不運なそして特殊な家庭の事情に苛まれていた私ゆえに、別してもはげしく出郷の憧れに鞭打たれました。―実家が田舎の自作農中でも割に裕福でしたので、世間態(せけんてい)から女学校は卒業させて貰いもしましたが、後妻の伴れ子(つれこ)という私の境遇が余りにもひどかったのです。新に私の父親と呼ばれる人の愕(おどろ)くべき無力さ、その家主としての威力は一体何処にあったでしょうか! おまけに彼の両親の老いていよいよ当たるべからざる暴戻ぶり! それは、近村に鳴り響くほどの強(したた)かもの揃いのこと、家中だけでなく人様からも憎まれじじい憎まればばあで誰れ知らぬ者とてはなかったのです。しかもどういうわけか、その老夫婦の苛酷な鞭は、後妻である私の母親とその伴れ子であるこの私の身に殊更に厳しく浴せられ、母と私の日常生活からは人間扱いは永久に奪い去られてしまいました。何かと云えば、二の次には伴れ子呼ばわり、極度に空腹を覚えている時うっかり三度目の茶碗でも出そうものなら、まあ伴れ子なんてこう節制が欠けてるものか・・・・という調子―何につけても伴れ子伴れ子の連呼です。いわれなくても充分その弱味に泣いている私でしたのに・・・・そして亦母親は母親で、事につけては後妻なんてこんなものさ、とそれを繰返し乍らおどおどと生きる姿は私と少しも変わりませんでした。そういう関係においてこそもっと頑強に出るべき筈だった父親がまた極端に無力だったゆえ、老夫婦の横暴さは益々募るばかりでした。
 こういう家庭へ三歳の時伴(つ)れられて入って以来、私は女学校を卒業して十九の春を迎えるまで、まるで思いきり咳一つできず戦々恟々と生きるうち、いつしか家庭嫌悪の情が根強く心の中(うち)に芽生え初め、それは自由に明るく働ける世界への憬れとなって行きました。それに一方私は文学趣味に陶酔し初め、陰惨な家庭にちぢかみながら生きる半面、私は非常に執拗な厭世観にたて篭るような娘になっていました。その頃、既に私は女学校さえ卒業したら東京に飛びだしてしまおうと決心していたのです。
 東京で一奮闘してやがては一かどの閨秀作家たらんとしていた野心がなかったら、私はあの苛酷な家庭に堪え切れないで、身自らを滅ぼしてしまうような方法をとっていたかも知れません・・・・

 私にとって生活革命の日は来ました。或夜無断で家を遁れ出たのです。母親から闇々裡の幇助を乞い、トランク一個を友に夜行列車に乗り込んだ私でした。愈々東京へいけるのかと思うと矢も盾も堪らない心のときめきを覚えました。しかも、私は前記の家政婦募集広告を新聞から切り取り、それをまるで楽園への道標(みちしるべ)のようにしっかり帯の間に秘めていたのです。特に地方出で歓迎されて初給が五十円以上! つい先月までは、鉛筆一本買って貰うにも冷汗を流すくらい気をもんだ私にとっては気味が悪い程歓喜に溢れた福音です。
 初めて東京の土を踏んだ私は、本所区××町の城東家政婦倶楽部へ辿りつきました。大きく立て看版が立っていてペンキ字も太々とサインされていたのですぐにそれと知れ、さすがに不安と期待に上気しきって玄関口に立ちました。
 その時私には一つの惑乱がさっと流れました。私は上京の車中でも、城東家政婦倶楽部の雰囲気を、いかにも新時代の処女達がぴちぴちと群れ交う明朗なものだろうと空想し乍ら来ましたのに、今、目の前に見るこの陰惨な空気は何としたことでしょう。第一、迎えに出たこの中年男のさも陰険らしい目でなめずり廻すように見られた時は、私はとんだところへ訪れてしまったと何かしら不気味な予感に襲われざるをえませんでした。さりとて他に寄処(よりどころ)を持たぬ、唯ここだけを絶対の頼みに今東京の土を踏んだばかりの田舎娘の自分、まさか取って食われもすまいと私は半ば捨鉢な度胸を据え、招じられるままに奥まった応接室に入って行きました。廊下を来ながら脇の部屋を盗み見ると、私と同じ年輩頃の娘達が、押しひしがれて亦お仲間が一人、というような顔つきや、或は同情と警告とそれから侮蔑をこめた様な目つきで、地方上がりの私をじろじろと眺めています。
 私を招じ入れた中年男は村の駐在巡査のような態度で、私の経歴や配偶関係や教養程度やを訊問に及び、体は健康かとそれに殊更力を罩(こ)めて訊(ただ)して後、それでは今からここの一員だと宣言のようにいい渡してから、先きの娘達がごろごろしている部屋へ私を伴い「今から君方の仲に加わる新入のNさんです。面倒みてあげてくれるように」といい渡すのでした。部屋には「内規」というものが掲げられています。

一、部員ハ起床時間ヲ午前六時トシ就寝時間ヲ午前一時トス(但シ出張勤務中ニ非ザル者ハ其間任意ノ仮眠ヲ認ム)
一、部員ハ如何ナル事由ニヨルモ外来者トノ無断面会ヲ許サズ(但シ止ムヲ得ザル特別ノ場合ニ於テハ監督者同席ノ下ニ短時間ノ是ヲナス事ヲ得)
一、部員ハ如何ナル事由ニヨルモ独断ノ外出ヲ許サズ、出張勤務中ニ於テモ亦同ジ(但シ監督者附添ノ下ニ月一回総勢外遊ス)
一、部員ハ外部トノ無断通信ヲ許サズ(但シ監督者之ヲ認メタル時ハ此限リニ非ズ)

 通常の雇用関係にどうしてこんな奇怪な規律が必要なのでしょう。そのどの項目をみても明かに容易ならぬ人道問題をはらんでいます。実際監禁を意味する規律であり、一見して、第一項目の十九時間労働は全然異常であるし、第二項目などは刑務所の法規を想わせ第三項目はまるで娼妓のそれを髣髴させ、最後の第四項目に至っては我国の憲法が認める個人の自由を完全に奪っているありさま。それにしてもこの「内規」が内規として実行されているものとしたら、今目前に見る十五名の部員なる若き女性等はさながら隠忍の権化でなくて何んでしょう。羊のように弱い人達でなくて何んでしょう。
 ともかく私があれやこれや暗澹たる心持に落ちていた時傍(そば)の一人の同僚が、睡眠不足と栄養不足で蒼ぶくれた顔を私に向けて、「あんた、もうすぐ出勤命令が来るわよ」と何かしら意味ありげな言葉をかけます。出勤命令とは何だろう? この新来の私がどこへ「出勤」して何を勤めるのだろう?
 その時部屋の外から男の声で、「十六番!」と呼んだ。すると同僚の一人が私を指して、「十六番―あんたよ、今夜来たNさんよ。部長室へいらっしゃいというのです。」

 先刻私を引見したのが「部長」でした。部長は私に、「では、第一回の勤務をして貰います。いく先は深川だが、君はまだ地理を知らなかろうから誰かに案内させよう」というので、一人の同僚に案内され乍ら倶楽部を出ました。私は無精(むしょう)に不安で堪らぬので、電車の中でその同僚に城東家政婦倶楽部なるものの内面、性質をいろいろと質問してみましたが、その娘はただ「部長に知れるとそれこそ大変だから」と不得要領に独語(ひとりごと)して明確に答えて呉れません。ともかく或停留所で降され、一軒の気味悪いほどもの静かな家の前へ一人置かれました。その家には四十がらみの人相険悪な男がいて、他には猫一匹住む気配もない。その男が、「田舎から来たそうだね。東京は好きかね」―と厭に馴れ馴れしい調子で、返辞をしてもしないでも何か勝手にぼそぼそ呟いて後、「ではそろそろ布団を敷いて貰うかな。次の間が戸棚だから床とってくれ」
 それが家政婦というものだろうと思い、私はいわれるままに床をのべました。と男はすぐに掻捲(かいまき 注:どてら、はんてんのこと)に着替え、私が敷いた床に寝て、「ちょいと脚をもんでくれんかね」というので今日の職業がそういうものだろうと思い込んだ私は、仕方なく男の脛をさすりだしました。暫くすると男は 「もう沢山。ご苦労だった。夫(それ)では此の・・・・
「・・・・」
 この男は何を言い出すのだろう、と私は呆然としていました。
「ははは。羞しがることなんざちっともないさア。さ・・・・・・・・」
 と男は無理矢理に私を・・・・・・・・
「何なさるんです!」と私はかあっとなって男を叱りとばし、必死の抵抗を試みました。
 すると男は、「馬鹿だねえ。一人前の東京女にしてやるんじゃないか
「ば、馬鹿な! 放して下さい! 大きな声をたてますよ?」私が必死に叫びながら遁れようと悶掻(もが)きだした時、男の拳が私の胸のあたりにどかんと来たまでは覚えている。それきり私は意識を失ってしまいました・・・・・・・・。
 ―泣いてもわめいても後の祭でした。翌朝の私は既に前夜までの私を奪われていた。私は異常な激昂のために大熱を発し、倶楽部の病床で三四日も苦しんだ。その間に私はこの倶楽部について概貌を知ることができました。私を看病してくれた河北夏子という娘さんの口から聴かされたのでした。

 私があの晩経験したのと同じ洗礼はここにいる娘達は皆もれなく通過して来ている第一の関門だったのです。つまりあの晩の男こそは倶楽部の一部の組識者で、或る重要な部分を遂行する役割を持っている人だったのです。後日部員の総てに殆ど売淫に等しい勤務を強いる唯一の弱点をああしてさしあたり与えてしまうのです。ここの娘達は肉体を唯一の商品として町の或階級に買われていくのですが、その「勤務」への新鮮な衝動を軽減しておく必要上、予(あらかじ)めああいう目に逢わせるのでした。と同時に、「既にお前はどの途一度は闇をくぐってきた来たのではないか。愚図愚図と拒んだりしてこちらの気持を害し、お前がもう白日の下では大きな顔ができない女であることを世間に知られでもしようものなら、後々の幸福にも係わるというものだろう。まあまあ今日さまへのお勤めだと思って往生するんさね」とそのぬきさしならぬ乙女の致命傷をもう一度手ひどくひっぱたいておく一種の序幕であったのです。私もその烙印を押された一人で、あの獰猛な毒虫から余儀なく犯されはしたものの、しかし私はああいう境地におめおめ閉じこめられて、ああした汚されようをしたことに、それほど致命的にうちのめされる必要はないのだ―と思いました。意志上で合意は微塵もなかったのですから、厳密には断じて汚されてなぞいないぞと私は自ら勇気づけました。だがここの娘達は、最初第一回に汚されてしまった―その瞬間から何かしら運命的な諦めを植えつけられてしまうらしい。女である一切の資格すら永遠に失われたのだ、という絶望に包まれてしまっているのです。譬えば私に一切をもらして聴かせる河北夏子さんにしても、彼女は北海道が郷里だといい、継母の虐待に忍びおおせなくて東京に遁れて、いきなりこの城東家政婦倶楽部を訪ねて来たのだと云う。やはり新聞の切り抜きを帯の間にして躍りながら汽車にゆられて来たあたり、そして著(つ)いたその晩純潔を奪われたあたり私の場合と寸分違わないのです。
 事実、電車に乗る術も知らないお上りさんにとっては、東京という巨大な渦巻きはゴビの沙漠とどこが違ったでしょう。期せずして共通するここの娘達の生い立ち―揃いも揃って地方出で、おまけに継母だとか継父だとか私のような伴れ子だとか或は拾われた子だとか、ともかく何かしら不具の境遇を前身として、いい合したように無断で飛びだして来ているのでした。それゆえどこへ飛びだして何になろうと、家庭の方から積極的に交渉を試みてくる気遣いは殆ど絶無の人達だったのです。この世に産み落とされてながら、家庭というものの本当の親しみを経験しえなかった不幸の極致をさ迷う哀れな人の群れなのでした。ところがこの娘達のこういう陰惨な境遇こそは、倶楽部経営者側からすれば実に好個な条件で、その点へ最も悪辣に働きかけていたのです。いわば小娘達の異端者的な弱点に醗酵された資本主義の害菌でした。
 この資本主義を支持する階級―需要者階級は、比較的非常に狭隘な範囲に限定されていました。巷間一般の家政婦事業がどの程度まで「家政婦」を実行するものか知りませんが、ともかくこの倶楽部では、とどの目的をば完全に日雇い売笑婦という点においた。―家政婦をよこしてくれという電話が来る。中肉中背のがよい、などと条件を附帯してくるものさえありました。この前のような痩せっぽっちでなしに今度は少しぶよぶよ太ったのがほしい、などと注文して来るというのです。そこで部長が商品値段を予約して、注文者の希望に添う部員をさし廻す仕組み。需要者は概して独身のサラリイメンとか有閑老人とかそれぞれの理由のために×生活を臨時に中絶している中年男とかが大部分でした。―何のことはない××の遊撃隊とでもいわるべきか? 尤もその遊撃がのべつ一様に行われているわけではない。需要者と供給者との間に前以て予約が交わされているものでない限り供給者は用心したものです。つまり會て一回以上の取引関係がない初取引の需要者に対しては、こちらでも通常一般の家政婦として出向いていくのです。しかし勿論こちら本来の方針からいえば、そういう尋常の場合の取引は採算上殆ど重要視されてはいません。普通の家政婦として差遣わしたのでは、この倶楽部本来の「家政婦」の場合に比較して料金の上で十分の一の報酬にもならないからでした。そしてその料金も、経営者だけの頭では不統一に区分されているのです。即ち商品に等差がつけられていて、部員の容姿を基準に一等部員、三等部員というふうに別れております。尤もそれによって部員の待遇が変わるわけではなく、却って自分が何等部員に属するかをも心得てはいない位です。
 次ぎに、経営者が部員に向ける監督の厳重ぶり―一体ここには非公式(部員に)の監督者が何人となく配置されていて、不断に神経質に内情の漏洩を防圧している。しばしば部員が遁亡を企てたことがありますが、どこからどう見張っているのか、ついぞ顔を見たことさえない知らない男の手などで実に易(たやす)く捉われてしまうというのです。

「わたしなんかも、来た当座二度も遁げ出そうとして、二度が二度とも捕まっちゃったのよ。」と夏子さんも云っていました。目に見えぬ組識の網が、八方に張られているのでしょう。
「でも、その中には妊娠した人いない?」と私は質問してみずにはいられませんでした。と云うのは、私を除く十五人の娘達は、揃って十八九から廿一二の成熟を想わせる人達ばかりでしたから。
「それが・・・。」と夏子さんは続けました。
「わたし今までに二回妊娠したわ。だけどその度ここのお医者さんが××××くれるの。みんなそうなのよ。妊娠しない人なんて二人か三人しかいないわ・・・・」
 こういう深刻な問題を何の臆面もなくしゃべっているのです。遂(つ)い去年の冬なぞ、一人の娘が例によってどこの誰とも知れぬ胤を宿しました。ところがその娘には最初の経験だったので、部長への申告を惑うているうちに、お腹の大きさで初めてそれと判明し、大狽てに狽て×××××が試みられましたが、専属の自称医博腕に覚えがかすかだったか、到頭失敗に帰してしまいました。母×もろともころりと×なしてしまったと云うことですが、勿論部員達には厳秘に附されていつどことなしに片附けられ、二個の×がこの国の××上から永遠に、任意に××されていくのでした

 この戦慄すべき魔境が内部から曝露されないのは何故でしょう? それは二つの方面から説明できると思います。その一、―ここの娘達は故郷を不自然に飛びだして来ている異端娘であること。随って彼女たちは、いつどこでどんな果てざまをしようと、まるで泡が一つぽかんと滅びていくようなものでただそれだけのことに終わるよりない娘達で、この特殊点は例外なしに共通しています。しかも彼女たちは東京という都会に対して極度に無知識です。それは事実極端なもので、銭湯へゆく術さえ知らない位です。尤も経営者側が彼女達をそうあらしむべく不断に努めているのです。風呂も理髪機関も総て内部に設けられ、外部との交渉を殊更に遮断しているのです。更に部員達には新聞を読ませない。それは感情が社会的に目覚めて行くのを阻止するためです。でも娘達は、或程度までにその型にはまってくると少しも痛痒を感じないらしいのです。日常生活の外面を見ていると虐待されているという感じはしないかも知れません。三度の食事は割に上等なもので、彼女達が山里で常食して来たものと比較すれば、或はお客に寄ばれて来ているほどかも知れません。間食物も与えられている。娯楽機関としてはオルガン、大正琴等が設けられている。その上月に一回監督に引率されて通俗映画・芝居等を見物する。という次第で彼女達はむしろこの生活に或る愉悦を味わっているありさまです。
 その二、―これは精神上の問題ですが、彼女達はいつとはなしに精神の上で麻痺状態に陥入っている。今自分達が生きているこの世界だけが世界だ、といつしか諦めて往生してしまうのです。実際彼女等は結局従順な、というより総ての反応を失くし果てた奴隷になりきってなりきって、そこに完全に安住してしまうのです。つまり環境の種類に応じてたちまち後天的な性格を固めてしまうのです。勿論経営者はその点に企画的に食い入る訳です。ああ心理学的にさえも塩梅された周到ぶり! そうして彼女達は何故か今は善悪の自覚さえ失って、辿々(たどたど)しく生きているという惨状。まるで無期徒刑囚のように・・・・
 それから頑丈な鉄鎖がもう一本! それは彼女等が極めて零細な報酬しか貰えないということです。新聞広告では『最低月収五十円』だった筈ですのに、実際には月末その十分の一の五円内外を支給されるにすぎない。経営者側からすれば、彼女達に現金を握らせることは一つの脅威を意味するからだ。事実この国のこの現状では、人間を王者にでも乞食にでも急変させることだ。つまりそうして彼女達を対社会的には極端に無能力者として遁走の機会を失わせる為に、現金法度を徹底せしめているのでしょう。その代り倶楽部を中心とする生活範囲内でぜひ現金が必要という場合には、その都度経営者が臨機に負担する。尤も彼女達は現金というものの必要を痛感する機会にはさして遭遇しない。著物(きもの)などは比較的上等なものを不自由なく買い与えられるのです。こういう点は一般家政婦よりは遥か優遇(?)されているといえましょう。「勤務」が勤務ゆえ、外観をば虚飾しなければならないのですから、どんな下っぱ娼妓でも商売上はけばけばしく身づくろわねばならないように・・・・

 ―こうして彼女達は来る日来る日を特別斬新な感想も衝動もなく、豚のように愚かに豚のように神聖(?)に、ほそぼそと生きているのです。乱熟した花園だ。無理矢理に人工栽培されたアネモネです。しかもこの花はふえる一方。
 山里の純情な娘等「東京」「最低月収五十円以上」に、術(て)もなく眩惑されて飛びだして来るのだ。そしてこの種の毒手に捉えられて骨の髄から性能を歪められつつ亦繚爛と咲き添えられるわけなのです。
 ―それにしても、これは何て恐るべき奇跡であろう。
 アジアの楽園(?)のまん中に潜在するこの奇怪極まりなき魔境! これは不知不識(しらずしらず)の間にはびこる東京の一つの癌だ。
 私は幸い傷だらけにならない中に、身をもって脱出し得た―そのせめてもの代償として、あの暗黒面の諸兄姉の視線をお誘いしようと思いました。勿論そのために蒙るあらゆる犠牲くらいは覚悟の前で。あの人口咲きの毒の花が逐日繁殖されていく事実を想う時、寸刻もじっとしていられなかったのです。私は女性の名において、声を荒らげる覚悟を持つ。
 事実、近き未来に於て、優秀なる「母」として、国家の重要な要素を形造るべき若き女性達が、ああした機関のためにみすみす失格(オミット)されていくのではないかに念到する時、身を以っての経験者たる私は、敢て先覚諸兄姉の考慮を促すべきであったのです。

 この長文に付け加えることは別にないだろう。ただ筆者は、当時の新聞を漁って、この裏付けとなる事件記録や家政婦募集広告を捜索したりはしていないので、この記事を裏付ける情報は何も手許にないということをお断りしておく。金額の換算については連載第1回を参照されたい。
 都市への憧れ、故郷との断絶、あるいはこの手記の作者の、かつての同僚達へのある種冷ややかなまなざしなど、読みどころはいろいろあるだろう。「メイド」と称して実態は高級娼婦以外の何者でもないゲームが存在するように、かつて「家政婦派遣」という看板で出張売春が存在していたらしいということは、読者の皆様に何か参考になるかもしれない。とりあえず、フォスターの横領疑惑の一端は解明された・・・のだろうか?

(墨東公安委員会さんからの寄稿です)


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