ブックコレクション

墨東公安委員会の
「今週の一冊」
〜雑破業からマルクスまで〜

第40回〜第52回(4クール目)


#今週のハプニング(一周年ご愛読感謝&コスカ参加新刊完売記念特大号)

 ある日、私が学校から帰って来ると、料理女のメアリが表口に立っていた。彼女は二十六歳になる愛敬のいい女で、ディジーの花のようにすがすがしかった。すると新しく雇われた若いメイドが父親の荷馬車でやってきた。父親は市場向けの園芸師で、私たちの家から数マイルのところに住んでいた。彼女は十七歳くらいで、新鮮な、器量のいい娘だった。(中略)
 彼女が下りようとするとペチコートの裾が荷馬車の端に引っ掛かってしまった。その時私はちらっと見たのだ。白いストッキング、ガーター、両腿、そして
(以下ジオシティーズの規定を遵守するため及び当局の指導に則り自主規制)。それはほんの一瞬で、ペチコートの裾が元通りになるとすべてが隠れてしまった。(中略)
 私は他のことは何一つ考えることができなくなかった。新しいメイドがお茶を持って来てくれた時も彼女から目を離さなかった。夕食の時も同じだった。母が彼女のことを「よさそうな娘だね」と言ったので、私は嬉しくなった。

作者不詳(佐藤晴夫訳)『我が秘密の生涯』ルー出版

 筆者自身信じ難いことに、この阿呆な連載もなんと今回でちょうど一周年を迎えることになりました。また今週はコスカ9号店が開催されたわけですが、これはMaIDERiAのサークルとしての即売会参加一周年でもあります。
 今週紹介いたしますのは、その節目にふさわしい、歴史に残る史上最大のエロ小説『我が秘密の生涯』であります。本書は19世紀英国を舞台に、ある男の生涯をかけた性の記録が自伝の形を取って延々と綴らたもので、その文量たるや原書は11巻にも及ぶとの由です。このルー出版の版は、1998年に出た5巻本で、各巻大体300頁で合計1500ページに達しますが、これでも実は2316頁にもなる原本を圧縮したものだそうです。日本では過去に田村隆一訳の11巻本が学藝書林から、三巻の縮刷版が富士見書房から出ているとのことです。 本書の作者は不明とされていますが、ヴィクトリア朝時代の書誌学者にしてポルノグラフィ収集家で『禁書大全』をものしたヘンリー・スペンサー・アシュビー(1834〜1900)という説が有力です。
 さて、本書は性という側面から綴るヴィクトリア朝の歴史という趣があり、その意味でも高く評価されているのですが、したがってヴィクトリア朝時代にその人口の多さを誇った(かどうかは分かりませんが)メイドさんも、お相手としてそれはもう名前を覚えることもできないほど大勢登場します。その描写を拾っていけば、メイドさんについて少なからぬ知識を得る事もできるでしょう。本書に関する先行研究もあることですし、筆者も登場メイド一覧作成など、そのうち取り組んでみたい課題ですが、残念ながら今回は時間の都合で見送ります。
 この小説の主人公は、紳士と呼ばれうる階級の人ですから、当然家にはメイドさんがいますし、その身近にいるメイドさんこそ、彼の長い長い性の遍歴の出発点となったのでありました。引用部は、主人公が童貞を捧げた相手として回想しているメイドさんの登場シーンであります。この箇所からは、当時の女性は下着としてはペチコートしかつけておらず、ショーツどころかドロワーズも普及していなかったことが読み取れます(別の箇所で作者自身がそう書いています)。また、白いストッキングを着用していることもポイントのようです(別の箇所で作者はストッキングは白じゃないとやだとか抜かしています)。
 こんな感じでメイドさんが夥しく出てくる本書は、メイドエロゲーを百本束ねてもかなわない迫力を持って読者を圧倒します。皆さんも機会があればご一読することをお勧めします。
 ちなみに登場女性キャラクター中最若年は十歳だったりします。それが縁で、今は亡き Alice Club で斉田石也先生が健筆を振るっておられた書評コーナーに本書が出てきた(1998年7月号)のが、筆者が本書を知ったきっかけでした。その書評中の、
 また、使用人の中には、十四、五歳の女性も数多く登場するが、当時の社会通念からは別に珍しい事ではなかったようで、この年頃の少女(現代風に言うと)の半数くらいは非処女だったり、特定の恋人がいたりする。
 という一節は、いたく筆者の妄想を刺激し、筆者のメイド研究の一つの原点になったのかもしれません(苦笑)。その後筆者は間抜けな事にこの一節の出典を綺麗さっぱり忘却してしまい、あとになって確かめようと闇雲に書籍を漁り、図書館の社会史の棚を片っ端から読んでみたりしたものでした。その時の蓄積がブックコレクションに結実したという面も実はあります(笑)。最近本書をネット通販で入手し、その時に本書の書評の存在を思い出して、やっとこさこの原典に辿り着いたのでした。そういう意味で、個人的にもいささか思い入れのある一書なのです。

(連載第52回)


#今週の若主人

 小間使は寝椅子に腰をおろすと編み物を始めました。私たちのことなどまるで知らんふりのようでした。アロイスと私は、おもちゃの兵隊でいっぱいにしたテーブルの前に座っていっしょに遊びはじめました。
 突然アロイスが立ち上がって小間使のそばへ歩み寄り、その正面につっ立つと、小間使の大きく突き出した乳房をぎゅっとつかみました。私はすっかり驚いて、声も立てずにその場にじっとしていました。小間使はアロイスの手をふりはらうと、
「だって、アロイス坊ちゃん――」(中略)
「いいんだよ。ペピはもうなんでも知ってるんだ」
 アロイスはそう言うと、小間使のぷりぷりするような大きなお乳をもう一度つかみました。
 小間使はもう若主人のするのにまかせ、抵抗しようとはしなくなりましたが、それでも私のことが気になるようでした。
「そりゃペピちゃんがわけ知りなのはわかりますよ。でももし、よそへ行ってしゃべったりされたら――」

作者不詳(足利光彦訳)『ペピの体験』富士見ロマン文庫

 先週はドイツ出版とされる古典エロ小説でしたが、今週はオーストリア=ハンガリー帝国が誇る(?)1908年出版と伝えられる古典エロ小説であります。日本語版はかの富士見ロマン文庫の初回配本で出たものです。時は19世紀中葉のウィーン、貧乏な職人の娘ペピの、5歳の時に始まる性の遍歴が綴られ、13歳で娼婦デビューするところで終わるという、まことにもってなんだかなあという素晴らしい内容です。一度は反省したペピが教会に告解に行って、話を聞いた司祭に逆にやられてしまうというエピソードがありますが、カトリック教会の密室の中でのそういう事件は、現実にもそれに近いものがあるようです。
 引用部はペピが大家の息子アロイスとそういう関係に耽る場面で、アロイスは実は日常的に自分付きのオールドミスの小間使いとそういう関係にあったというお話。ちなみにアロイスは12歳です。ようやるな。主人と使用人がそういう関係になる場合は、往々男の側の年齢が高いことが多いものですが、まったく逆のパターンもないわけじゃなかったのかもしれません。
 ところで、この小説の中でペピは学校に通っていますが、そこには制服があったと記述から読み取れます。当時の英国の事例では、小学校の女の子の制服はかなりメイド服に近いものがあるので、ペピが着ていた制服もそうかもしれません。制服姿であれなシーンもちゃんとあるので脳内補完にどうぞ。
 さて、ドイツ、オーストリアと古典エロ本が続きますが、来週こそは真打の登場です。読者諸君、刮目して次回を待て!(笑)

(連載第51回)


#今週の戦争犯罪

 フォーゲル中尉とベルゲル中尉には、ある豪商の家が割り当てられた。
 戸口のところで、美しい侍女が一人、この二人の将校を出迎えた。彼女は、この国特有の服装をしていた。きれいな上衣を着て、その上にマントに似た服をはおり絹の帯を締めていた。上衣の下からは、張り切った乳房がはっきり形をみせていた。
(中略)
「お前、なぜあの女を放してやったんだ?」
 と、不機嫌にフォーゲルがたずねた。
「お前は、あの女が言おうとした意味がわからなかったのかい! この邸の女主人があの侍女にやきもちを焼いているんだとさ」

ウィルヘルム・マイテル(城市郎監修)『バルカン・クリーゲ』河出文庫

 「二十世紀随一の艶書」とか評される書物です。20世紀初頭のバルカン戦争(第1次:1912〜13、第2次:1913)を背景に、戦争で男が出征した後に残された女達が愛欲に耽り、そこに敵軍が攻め込んで来てやりたい放題やりまくったり、「戦争によって理性を失い、本能の命ずるままに行動する人間獣が引き起こす惨虐と淫逸を赤裸々に描」いたものであります。先週の本稿に出てきた梅原北明は、1927年10月ドイツ出版と伝えられる本書を逸早く日本で出版し、読者からの名声と当局からの刑罰をかちえました。河出文庫版はそれに基づいて再版されたものです。
 でもって、本書は旦那が出征した貴婦人が悦楽に身を任す話が多いのですが、多くの場合そこに美人の侍女も登場して一緒に(松文館の件があったので以下自粛)。侍女はその家の体面上、見目麗しきものが選ばれることが多かったそうで、そうなると時に女主人の嫉妬を買うこともあったかもしれません。一方で女主人を攻略するために先ず侍女を狙うというパターンもあります。スタンダールと違って攻略するには(以下自粛)。しかして戦争が舞台なので、惨虐な挿話も多々あります。
 ところで、『クリーゲ』とはドイツ語で「戦争」のことで、本書は普通『バルカン戦争』という題で知られています。北明はじめ、戦前の日本でもたびたび果敢にも出版され、当局の前に討死にしてきたのですが、時々その貴重な戦前製『バルカン戦争』が相応の値で古書店に登場することがあるそうです。すると、このことを全く知らない戦史ファンが古書店の目録で本書を見つけ、戦前の出版とは、すわこれは陸軍関係者が刊行した貴重なバルカン戦争の戦史ではないか? と勘違いして注文し、現物を見てあぼーん、ということがあったとかなかったとか。

(連載第50回)


#今週の潔癖症

 福岡県某市某銀行員妻松田清子(当年三十二歳)は、さる片田舎の裕福な農家に生れ、某高等女学校中途退学、二十一歳の時現在の夫に嫁ぎ、今では十歳を頭に五人の子供の母親になっている。
 彼女は非常の潔癖家で、附近の評判ものになっている。その一斑を挙げると、(中略)
 一、同家では、その使用の場所と物件とによって、その用途を差別するため、十枚の雑巾と、八個の亀子だわしとを常に用意してある。しかも住宅の間数は僅に三室である。
 一、冬期になると、座敷と台所と土間とで使用する足袋が厳然と区別されて、上は御主人公
(原文ママ)から下は女中に至るまで、常に三足づつ用意されている。女中等は、土間から台所へ、台所から座敷へと、出入毎に一々足袋を穿き替えねばならぬことの面倒を厭って、大抵は一度土間に下りたら、寝る時まで上にあがらないことにしている。尤も主人の部屋には、いかなる用件があっても、女中は絶対に入ることが出来ない掟になっている。(中略)
 一、こうした彼女の潔癖は、遂に町内一般の風評となって、今では、女中の雇入れにも中々応募者がなく、余儀なく彼女が一人手で台所から一切の雑用をしている。従来同家にいた女中も、早きは三日、永くも二ヶ月と続いたものがない。

中村古峡『変態性格雑考』文芸資料研究会

 松文館のマンガが警察に摘発され、出版メディアにおける表現と規制の問題がにわかに急を告げる気配ですが、その昔の日本は、内務省警保局とゆうところが日本中のあらゆる書物を検閲しておりました。そして今日となっては阿呆らしいほど些細な理由で、「発禁」という処分を下していたのでした。そんな時代であっても、体を張ってあやしい本を作っていた男たちがおりました。詳しい経緯を記す紙幅はありませんが、昭和初期にエロ本出版で名を馳せた梅原北明という男がおりました。彼が主宰していたのが「文芸資料研究会」なのですが、そこが「変態〜」と冠したシリーズを世に送り出しておりました。また連載14回で紹介した『ファニー・ヒル』の完訳を出してある層の読者から熱烈な支持を受けていたそうです。
 本書はその「変態〜」シリーズの一冊らしいです。奥付けに昭和三年六月二十五日発行とあるところから、警察の手入れを受けて文芸資料研究会が分裂した後、北明と袂を分かった一派が出していたものらしいです。ちなみに本書は内務省に納本済みで発禁ではありません。だからあんまり価も高くなかったので、話の種に古本屋で買い込んだ次第であります。和綴じでなかなか風情ある装丁です(なお原文の旧漢字は修正しました)。
 引用部ですが、潔癖症というのは今日でも見られるのでそれはまあともかく、家が三室しかないサラリーマンでも、ホワイトカラーであるからには女中を雇っていたのですね。そんな家に夫婦二人と子供五人と女中一名と・・・。英国同様、女中を雇うことは実用というより社会的体面であったことを窺わせる挿話なのでした。
 ところで、上記の北明の話は全面的に城市郎『性の発禁本』河出文庫 に依拠していますが、ことのついでに同書の北明に関する章の末尾を引用しておきます。
 昭和七、八年には公然たる珍書出版はほとんど影を潜めてしまうのである。・・・
 小林多喜二の拷問死が昭和八年であった。“エロ出版”の滅亡もまた、長い戦争の泥沼への入口でもあったのだ。

(連載第49回)


#今週のラブレター

「これらの手紙は自分自身でもってゆくこと。乗馬にて、黒ネクタイ、青色フロックコート着用。手紙はいたましき様子にて門番にわたし、そのとき、目に深き憂愁をたたえること。もし小間使などを見かけたときは、そっと目をぬぐう。小間使に言葉をかけること」
 すべてはそのとおりに忠実に実行された。

スタンダール(桑原武夫・生島遼一訳)『赤と黒』(世界文学全集)河出書房

 先週に引続き、19世紀の名作文学、今週はフランスから。説明するまでもない周知の作品です。『二都物語』とはギロチン繋がりですね(読めば判る)。『赤と黒』というのは共和派と聖職者との象徴だそうです。巫女とメイドのわけがありません。『赤』は軍服で『黒』は僧衣を表すと昔聞いた覚えがありますが、僧衣はともかく軍服ではないようです。確かにこの頃、赤い軍服といえば仏軍じゃなくて英軍でしょうね。
 さて、引用部は、主人公ジュリアン・ソレルが、ある事情から愛してもいない元帥夫人に恋文を送ることになったところ。何せそういう事情ですから、手紙の文面もある貴族から借りた恋文の例文集からひたすら書き写すことになります。しかもその例文集にはご丁寧に手紙の渡し方のコツまで書いてありました。それが引用部です。将を射んとすれば先ず馬を射よ、つまり貴婦人を篭絡せんとすればまず侍女をてなづけよ、てなわけですね。これを侍女側から見た対応方法は、以前紹介のスウィフト『奴婢訓』参照のこと。
 余談ですが個人的に本作品は、主人公とその愛する女性たちもさることながら、周辺人物どもの俗物ぶりがなかなか印象に残ったりしたのでした。町長とか、いいキャラクターですね。

(連載第48回)


#今週のレシピ

彼女(注:家政婦のミス・プロス)の交際というのは、一にも二にも実利を考えてのうえのことで、したがってソホーや、そのあたりをくまなく探しまわっては、金に困っているフランス人を見つけ出すのだった。つまり、彼らをシリング銀貨や半クラウン銀貨でたらしこみ、巧みに料理の秘訣を伝授させるのだ。こうして落魄したゴール人(フランス人の古名)の末孫たちから、いわばすばらしい魔術を覚えこむのだから、しぜん召使いの下婢、小女たちは、まるで彼女を魔法使いか、シンデレラの教母扱いにしていた。

チャールズ・ディケンズ(中野好夫訳)『二都物語』(世界文学全集)河出書房

 フランス革命の時代を背景に描かれ、1859年に発表された、19世紀英国を代表する作家・ディケンズのよく知られた作品です(解説によると文学的評価は必ずしも高くないそうですが)。作品自体につきましては、是非一読なさることを皆様にお勧めします(文学的評価が高くないからこそ、かえって一般向けかもしれません。個人的にも、いい作品だと思います)。
 さて、引用部は、主要登場人物のルーシー・マネットの育ての親のような役割を果たしてきた家政婦のミス・プロスについての一節であります。ソホーとはロンドンの中心部にあって、現在でも外国人の経営するレストランが多いところだそうですが、やはりお茶は美味しいけれど食事に関してはとかく言われる英国らしく、料理はフランス人の技術に仰いでいた(という通念をディケンズが持っていた)ようです。ちなみにフランス料理というものが世界に広まるのは、革命後没落した貴族がこれも仕事を失った貴族お抱えの料理人を使ってレストランを開き、広く一般に味を伝えたからだとも言います。
 ところで、実は本書には冒頭近くの宿屋の描写で、
「途中廊下のあちこちには、ボーイがひとり、ポーターがふたり、さらには幾人かのメイドと女主人までが・・・」
という一節もあり、「メイド」という言葉が登場しています。しかし、この片仮名語が用いられるのはあくまでもホテル従業員限定らしく、家庭内家事労働者は、もっぱら引用部のような訳語が宛てられています。原文がどう違うのか、興味の湧くところですが、あるいは家事労働者は「女中」とかそっくり置換できる日本語があっても、ホテル従業員には適切な日本語がなかった、ということかもしれません。

(連載第47回)


#今週の帝国海軍

 現在シンガポール・ヒルトンのすぐ近くにあるグッドウッド・パーク・ホテルの旧館が、当時シンガポールの水交社であった。陸軍の将校は、異国人のメイドがいる集会所でも浴衣がけスリッパばき、こんにちでいえば農協海外旅行団のスタイルだが、海軍の士官は水交社で、ちゃんと白い上着をつけ、白靴をはいて食事をしている。

阿川弘之『軍艦長門の生涯』新潮文庫

 元日本海軍軍人で乗物マニアでもある阿川弘之氏のよく知られた作品です。戦艦長門という軸を通じて、大正・昭和の日本を描いた長編で、海軍にまつわるさまざまなエピソードが豊富に盛り込まれています。引用部はその中の一つ、太平洋戦争初期に日本が占領したシンガポールでの一齣です。シンガポールは当時英国領でしたから、「異国人」のメイドさん(何人だったんでしょうね)の衣装も純正英国仕様であった可能性が高い・・・いや、シンガポールは熱帯だからそうはいかないかも。
 ところで本書では、シンガポールでなく日本にそもそもある水交社(海軍軍人の福利施設みたいなもの)の従業員のことを「メイド」と呼んでいる箇所がありますが、別に海軍にメイドさんがいたわけではなくて、ただ単に女性接客従業員を恰好つけてそう言っていたのでしょう。『英語または英語みたいなもののたくさんまじっているのが海軍言葉の特徴で、(中略)「従兵をボーイと呼ぶな」というお触れが出て二十年経っても、なおボーイ、ボーイと口にする古い士官もいた』と、本書に書いてあり、まあそれなら女性従業員をメイドと呼ぶことだって。

(連載第46回)


#今週のお着替え

今日でも紳士服と婦人服のボタンがちがうのは、当時の特権階級に属す紳士と淑女の対照的な装いの習慣からきていると一般に考えられている。思うに、大部分の人が右利きだから、自力で服を着る男性は、当然ながら当然ながら右手を使ってボタンをボタンホールにはめるほうがやりやすかったのだろう。したがって、紳士服のボタンは、たとえ最初のうちは左右どちらに付けると決まっていなかったにしても、ほどなく男性の右手側に統一されたのだろう。しかし、たいそうお洒落な女性たちは、ふつうメイドに服を着せてもらった。そしてメイドは、当然ながら女主人と向き合うかたちで、かぎホックやボタンを留めた。したがって淑女の服のボタンは、向き合ったメイドの右手に当たる側に統一されたのだろう。ほかにどんな配置をとっても、効率が悪かっただろう。

ヘンリー・ペトロスキー(忠平美幸訳)『フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論』平凡社

 フォーク、ナイフ、スプーン、クリップ、ジッパー、ポスト・イット、金槌、鋸、缶(のタブ)などなどなど、身の周りにある様々なものを題材にとりながら、新しいモノの形がどのように決まっていくのか、エンジニアリングの本質を浮き彫りにしてゆく書物です。「必要は発明の母」では決してなく、モノの形は機能によって一意的に決まるわけでもない。まず既存のモノがあって、その機能への不満から新しい形が生み出されるのだ、と作者は様々な例を挙げて説きます。何をそのモノの欠点とするかは人さまざまで、その時代と社会の文化によっても変わります。だからモノには色々な形があり、絶えず新しい形が生み出されるのだと。
 引用部はジッパーの発明されるまでの前史として、衣服の留め方の様々な方法を叙述している箇所です。言われてみればなるほど、と思うことですが、我々のもっとも身近にある西洋メイド文明の遺産なのかもしれません(笑)。また、邦題にもなっているフォークはじめ食器の、様々な形について述べている第8章は、ヴィクトリア朝の食卓を支配していた原理の一端を窺い知ることも出来る興味深い箇所です。とめどなく増殖する様々な食器たち(管理していた執事はさぞ面倒だったでしょう)、給仕のために使用人が出入りするのが煩わしいと、台所から食堂まで模型の汽車やら自動人形やらで皿を運ばせる話とか、なかなか面白いエピソードがあります。それを別にしても、身の周りの何気ないものへの見方が変わるエピソード満載の、大変面白い本であります。

(連載第45回)


#今週のYMO

 ところで、制服のあのミニスカート、夏はいいけど、冬もあの長さのまんまでしょ? 寒くないの? 去年の雪が降った日に、ものすごく短いスカートの女子高生が歩いていて、寒がりで冬に弱い僕は見てるだけで寒気がしてきました。あれって素足(ナマ足っていうの?)でしょ? いくら男は短いスカートが好きといっても、雪の吹きすさぶ中のあのかっこうを見ると「寒くないのか?!」とか思っちゃいます。(それとも、最近の女の子は元気だから寒くないのかな〜?)←発想がもうおじさん
 というわけで、わたしは制服の中では一番人民服が大好きです♪
・シンプル!
・男女平等!
・かっこいい!
 全国の中高生の制服が人民服になったらうれしいぞっ!(わたしは)

植芝理一『ディスコミュニケーション』講談社アフタヌーンKC

 ちょっと今回は毛色が変わって、漫画の単行本の最後についているおまけページからの引用です。『ディスコミ』は巻によって話の傾向がまるで異なりますが、8巻の後半から13巻にかけては作者の植芝氏の趣味が反映されて、独特の濃ゆい世界を形成しています。その植芝氏の趣味の一つがYMOで、それに由来するネタは多々見られます。引用部もその一つなわけですが、筆者はYMOといっても『戦場のメリークリスマス』しか思いつかなかったりしますが、そういう人間でも面白く読めるところが、このマンガの優れたところと思います。
 さて、作品論は紙幅の都合で割愛し、話題を変えまして、植芝氏はしばしば『ロリコン』よわばりされる人ですが(笑)、アンナミラーズの制服も嫌いではないようです。扉絵でアンミラ(風)衣装の戸川という構図は二回も使われているし、10巻所集の「神はスカートの中に宿る・3」で各種フェチを列挙しているシーンでは、セーラー服・看護婦・スチュワーデス・婦警と共にアンミラ・ウェイトレスも登場します(でも「ウェイトレス」といいながら、絵はアンミラそのもの。植芝氏の中ではウェイトレス=アンミラなのか)。
 扉絵のアンミラは、「まんがロード・2」(9巻)と「8月31日」に描かれています。後者にちなんで8月31日更新に合わせて取り上げようと思ったら、不手際で更新が遅れてしまいました。

(連載第44回)


#今週の民俗学

女中はもと働かねばならぬという意味で、他家奉公をしたものではなかった。教育と在附きとがその目的であったのが、追い追いに自分の家を維持するために、働いて金をとるというふうに女中はなったのである。けれども多くは古風な雇傭関係が保たれ、その生活は保障せられていて、少なくとも雇い主の準家族員として待遇され、時には嫁入の支度までもしてもらうという風があった。
 (中略)いわゆる欧州大戦による好況時代には賃金の多い女工を志願するものが多く、だいぶ減少したが、今日もなお女性の労力配賦の上には、いくぶん古風な家の繋がりを保存して重要な役割を演じているのである。

柳田國男『明治大正史 世相篇』講談社学術文庫

 柳田國男といえば、『遠野物語』などで民俗学の草分け的存在としてよく知られています。その柳田が、明治以後の激変した日本の有様を描いたのが本書です。普通の歴史の本と違い、固有名詞を挙げることを努めて廃し、名もなき普通の人々の生活がどう変化していったかを叙述しています。本書が執筆されたのは1930(昭和5)年ですが、その当時の人々にとって身近にごく普通であったものが、明治大正期に如何様に新たに形成されたのであったのか、を述べています。これを現在の我々の視点から読むと、なんとなく昔からあったように思われ、「日本の伝統」のように感じられる生活スタイルというものが、実は明治大正期に形成され、この本が書かれたころに定着した様式であることが極めて多い、ということが判ります。「伝統」のように思えたものは、大概は「じいさんばあさんが子供のころの最新スタイル」でしかないんですね。「創造された伝統」にも一脈通じるところを感じます。
 引用部は第十一章「労力の配賦」から。英国のメイドさんも、産業革命以前の労力配分としては「ライフサイクルの一環としてのサーヴァント」といい、ここに書かれた日本のリクルート事情に近いものがあるように感じます。日本は産業革命の突入が英国と比べ一世紀は遅れていましたので、その状況から現代への突っ走り方ではいろいろ相違点がありそうです。あと「家との繋がり」という点では、「女中類従」の第1回参照。

(連載第43回)


#今週の殺人事件

こうした(召使が雇い主を殺した)事件がきっかけとなって、雇い主は召使いの欠点により寛大になり、呼んで答えなくても、真鍮磨きがしてなくても、ローストビーフが生焼けでも、叱りつけたいところをじっと我慢するようになった。何の根拠もなくとも、とにかく召使いたちはみんな満足している、女中やそれに下男の顔にさえたまにうかぶ奇妙な表情は、彼らの心の内をあらわすものでなく、あまりこってりしたものを食べ過ぎて消化不良を起こしたためだ、という安心感を得るためなら、彼らはいくらでも寛大になった。それでも、お父さんは宗教小説を朗読し、お母さんは針仕事、子供たちは部屋のそこここで無邪気に遊んでいる、といった夕食後の今での一家団欒を描いたヴィクトリア朝の古風な趣の絵を見る時、彼らの心の奥底にはいつも不安がつきまとっていたにちがいない、とどうしても考えたくなる。そう、絵の背景にちらりと姿を見せる、きちんと帽子をかぶった女中は、心の中でどんな凶悪なことを企んでいるのだろうか、といった物騒な疑問が心をかすめるのだ。

R・D・オールティック(村田靖子訳)『ヴィクトリア朝の緋色の研究』国書刊行会クラテール叢書

 ヴィクトリア朝のイギリスにおいて、殺人事件がどのように人々の関心を引いていたか、メディアの発達史と絡めつつ、具体的な事件の解説を交えて叙述した本です。様々なタイプの殺人事件が取り上げられていますが、その中で特に「召使いには御用心」として、召使が雇い主を殺してしまった事件の説明に一章を割いています。何例かの事件が挙げられていますが、もっともページが費やされているのはケイト・ウェブスターという女性。もともと手癖の悪い人間だったようですが、雇い主の気難しい老婦人と口論した挙げ句撲殺、死体をバラバラに切り刻んで茹でて捨てたという事件です。こうした事件が起きる度に、全国のご主人さま方は不安で夜眠れなくなったそうですが、こういう事態に至るのはやはり雇い主側にも幾分か問題があった場合がほとんどのようです。

(連載第42回)


#今週のパスティーシュ(コミケ参加記念ちょっと長め号)

「じゃあ、キティーもわたしと一緒よ」アリシアは言い張った。
「キティー?」レディ・パットはたずねた。
「あの、えー、あの館の使用人ですよ。お嬢さんを救い出す手助けをずいぶんとしてくれたんです」ドジソン氏は彼女に言った。
「キティーはお友だちよ」アリシアは言った。「それにわたしは彼女に約束したの。一緒にロンドンに連れて帰って、わたしのメイドにしてあげるって。ウォールサム家の人間は絶対に約束を破ったりしないわ。そうよね、パパ?」

ロバータ・ロゴウ(岡真知子訳)『名探偵ドジスン氏 マーベリー嬢失踪事件』扶桑社ミステリー

 19世紀末英国を舞台に、『不思議の国のアリス』を書いルイス・キャロルことチャールズ・ドジスンと、シャーロック・ホームズの作者であるコナン・ドイルが、コンビを組んで事件解決に当たるというパスティーシュ作品です。挑む事件は少女誘拐事件。十代前半の少女売春がまかり通る英国の現状を変革せんと法改正に立ち上がる(注:ここまでは歴史的事実)自由党の国会議員リチャード卿、そうはさせじと卿の愛娘アリシア(当年十歳)を誘拐して法案の阻止を狙う売春業界の大物・ミセス・ジェフリーズと、その配下でリチャード卿に捨てられた過去を持つミス・ジュリア・ハーモン。アリシアの運命や如何に、と思いきや、お転婆少女アリシアは、誘拐された彼女の身の周りの世話を命じられた「同年輩の」下女・キティーを説き伏せて、救助を求める算段を巡らします。その時にアリシアが説得に使ったのが、自分のお家の使用人になれば待遇が如何によいかということでした(「一週間に半クラウンがまるまる全部あなたのものになっても? それに一週間おきに半日の休みをもらえても? ロンドンに住めても?」)。引用部は首尾よく救出されたアリシアが、キティーにした約束を守るよう主張しているところです。
 なんだかネタバレしまくりの解説ですが、どうせ本書はサスペンスとしての切れは大したことないので、大勢に影響ありません(笑)。この本は、シャーロキアンとかアリスマニアとか歴史好きとかが、細部ににやりとしながら読むのが本来の目的なのです(きっと)。誘拐犯の正体に気づいたアリシアの子守りメイドは、犯人に駅のホームから突き落とされて殺されてしまいますが、その遺体をドイル医師が検死して雇い主の政治的立場まで見抜いてしまったり、キティーがアリシアの味方になってしまったことに気づいたハーモンがキティーを鞭で折檻したり、19世紀英国メイド風俗に関心のある向きにも読みどころ多数です。是非町田ひらく氏あたりに漫画化して欲しいなあ、なんて。

(連載第41回)


#今週の大陸横断鉄道(連載40回記念引用多い目号)

 一八八三年までに、ハーヴェイはサンタフェ鉄道の沿線で一七の食堂を経営するようになり、その質の高さは西部中で評判になっていた。(中略)
美人ウェイトレスが人気を呼ぶことを知ると、ハーヴェイは東部の新聞に「若い女性求む、十八歳から三十歳までの、感じがよくて魅力的で聡明な人」という広告を出し、だんだんと男の給仕を女性に切りかえていった。圧倒的に男の多い西部では、これらの女性のほとんどがすぐに求婚されてしまうため、ハーヴェイは雇用契約に、勤務して一年以内に結婚して退職する場合は給料の半分を違約金として返却するという条項をつけ加えた。そして、彼女たちに白いカラーのついた黒いドレスを着せて白いエプロンを着けさせ、寮母が監視する寮で生活させた。一九世紀末の二五年間、ハーヴェイ・ガールは南西部の花であり、かなり多くの伝説や戯れ歌の題材となった。たとえばつぎのようなものである。

 ハーヴェイ・ハウスを知らないか。
 モハヴィ砂漠を突っ切って
 インディアンのビーズ玉みたいに
 サンタフェ鉄道沿いにつながるあれだ。
 それがなければ食事はできぬが
 色気と食い気の抱き合わせとは
 ハーヴェイもうまいことを考えたもの。

 イタリアの荘厳な寺院も見たし
 トルコのすてきなモスクも見たが
 何よりも美しいと思ったものは
 アルバカーキで見たハーヴェイ・ガール。

ディー・ブラウン(鈴木主税訳)『聞け、あの淋しい汽笛の音を』草思社

 アメリカ大陸横断鉄道の建設の過程を描いた本です。アメリカの鉄道はすべて私鉄ですが、大陸横断鉄道は莫大な投資を要する国家的事業として、国から厚い補助を受けていました。鉄道沿線の広大な土地の払い下げ(最終的にはアメリカの国土の一割にも達する)や建設費の補助など。しかし企業の経営者たちは、どいつもこいつも自分の利益にまっしぐら、政治家に献金しまくって鉄道会社に補助を受け、インディアンの土地を奪い、建設費を水増しして補助金を懐に入れ、土地を移民に売りつけてあとの社会資本の整備はほったらかし、とまあ、むき出しの資本主義のドラマを描いているのが本書の主な内容です。
 しかし中には顧客の満足を考えるという奇特な(?)経営者もいて、その一人が引用部のフレッド・ハーヴェイです。当時のアメリカの鉄道には食堂車がなく、二、三十分程度停車して駅で食事を摂っていました。独占的な商売なので、大体サーヴィスは大したことはなかったのですが、ハーヴェイは料理も店の内装も質の高いものを提供するよう努力し、好評を博しました。ハーヴェイが契約していたアチソン・トピーカ&サンタフェ鉄道の人気も騰がったといいます。その店のウエイトレスが引用部のように人気だったようですが、時代が時代なだけに見かけはまさにメイドさんです(同書213頁に写真あり)。それでも「色気と食い気の抱き合わせ」ということは、ある意味、アメリカだけにアンミラのご先祖様なんでしょうか? 均一なサーヴィスを供するチェーンという点では、ファミレスの元祖とは言えるかもしれません。

(連載第40回)

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