ブックコレクション

墨東公安委員会の
「今週の一冊」
〜上野千鶴子からシュリーマンまで〜

第89回〜第100回(8クール目)


今週の国際問題(連載終了記念特大号)

「無礼と思われたら困るんだが、もしかしたら、あなたはどこかのお屋敷の召使ということはありませんか?」
 この言葉を聞いたとき、私がまず感じたのは圧倒的な解放感だったことを告白せねばなりません。
「さようでございます。私はオックスフォード近くのダーリントン・ホールで執事をしております」
「そうじゃないかと思った。ほら、ウィンストン・チャーチルに会った、誰に会ったという件ね? 考えたんですよ。こいつは大嘘つきか、それとも……。そして、はっと思い当たった。なんだ、簡単に説明がつくことじゃないか、ってね」

カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)『日の名残り』中央公論社

 これまで様々な書物を紹介してとうとう百冊目になった当ブックコレクションでは、主としてメイドさん関連の書物を扱ってきたわけですが、筆者の興味関心はヴィクトリア朝英国などのメイドさんの実態そのものもさることながら、何故にそれが一世紀の時を経て、日本のオタク文化に一定の地位を占めるようになったか、ということに次第に傾いてきました。ヴィクトリア朝英国から日本は秋葉原に至る旅路を辿ってみようというわけですが、かような連載に一区切りつけるに当たって、日本に生まれて英国に移住した作家、カズオ・イシグロの作品を取り上げるのもまた一興でしょう。
 というわけで今回のお題は、執事を主人公にしたカズオ・イシグロのブッカー賞受賞作『日の名残り』です。映画化もされて好評だったようで、アカデミー賞では『シンドラーのリスト』『ピアノ・レッスン』なんぞと運悪く鉢合わせしたため、8部門にもノミネートされながら無冠に終わったそうですが、残念ながら筆者は見たことがありません。貴族の邸宅における使用人の姿を垣間見るには映画のほうがいいようで、メイド趣味者でこの映画を評価される方も多いようです。
 お話はといいますと、時は1956年、ダーリントン・ホールの執事スティーブンスは雇い主のアメリカ人が帰国している間を利用して短い旅に出ます。ダーリントン・ホールのかつての所有者でスティーブンスが長年仕えていたダーリントン卿は既になく、邸はアメリカ人の所有に帰しています。スティーブンスが旅に出たのは、かつてダーリントン・ホールの女中頭だったミス・ケントンからの手紙が一つの理由でした。ミス・ケントンと再会し、うまく行けばまた彼女に邸で働いてもらえるかもしれない。かくして旅に出たスティーブンスは、道すがら様々な人々と交流しつつ、過ぎ去った日々の思い出、やはり執事であった父のこと、ダーリントン・ホールで催された外交会議、そして女中頭への想いとすれ違いなどの回想が語られてゆきます。
 さて、この物語について語るとなると、執事と女中頭の淡く切ない感情であるとか、スティーブンスの語る執事の品格論とかを扱うのが王道というものでしょうが、筆者としてはリッベントロップやモーズレーやラバルという名前を見るとやはり歴史的方面に関心が向きがちで(って三人ともファシズム関係者…)、そういえば以前「Lepruchaun1/2」の悠々さんも歴史的背景を知ればもっと『日の名残り』を楽しめるかもしれないと仰っておられたことがありまして、ちなみに「日の名残り メイド」でぐぐると悠々さんとこが一番上に来るので、敬意を表して政治ネタを思いつくまま書き綴ってみましょう。
 J・サザーランド(川口喬一訳)『現代小説38の謎』みすず書房 では、「なぜスティーヴンズはスエズ危機を聞いたことがないのか?」と題して(執事の名前のカナ表記が違うのはそのまま)、ちょうどスティーブンスが旅に出ていた時期はエジプトのナセルがスエズ運河国有化を宣言した一月ばかり後に当たるというのに、なぜスティーブンスは村人との会話などでそういったことに触れないのか、と論じています。サザーランドの説くところでは、これは作者の故意にしたことであり、ダーリントン卿の失敗に終わったナチスとの宥和政策のアイロニーであるといいます。当時の英首相イーデン(1897〜1977、村人の台詞で「あれはなかなかまともな人じゃなかろうか」と出てくることに注意すべきでしょう)はナセルをヒトラーよわばりし、フランスと組んで、さらにイスラエルを引っ張り込んで、エジプトに対し軍事行動に出ます(10月29日イスラエル軍侵攻、第2次中東戦争)。しかしこれは世論の批判を受け、国際的にも米ソの支持が得られず、結局イーデン首相は翌57年1月辞任します。ダーリントン卿の場合は誤っていた宥和的話し合い政策が、スエズ危機の場合は武力行使よりも妥当な方策であったのでした。こうして、ダーリントン・ホールで展開されたような世界は終焉を迎えたのだとサザーランドは評しています。
 実際、『日の名残り』を慎重に読むと、イーデンがダーリントン・ホールに来ていることは間違いないようです。四日目午後の回想シーンで語られる、リッベントロップ訪問とそれを探りに来るレジナルド、そしてミス・レントンが求婚を受け入れた夜のエピソードでは、「イギリスの首相と外相」がリッベントロップと密談していることをレジナルドが口に出します。このとき「われわれの新しい国王」が親ナチであるというのですから、この国王とは1936年1月に即位し、年末にはシンプソン夫人との恋愛問題で王位を退いたエドワード8世のことでしょう(実際、思想的にも話は合うし)。そして1936年当時の英首相は保守党のボールドウィンで、外相が前年末に就任したばかりのイーデンなのでした。実は本書の隠れたキーパーソンは、アントニー・イーデンだったのかもしれません(笑)。
 ついでに書けば、イーデンは38年初頭に対イタリア政策を巡って首相チェンバレン(37年5月就任)と対立し辞任、後任はダーリントン・ホールにこれまたリッベントロップとの密談にやってきて、スティーブンスの磨いた銀器の輝きの見事さに目が眩んでしまった? ハリファックス卿(1881〜1959、Edward Frederick Lindly Wood 初代ハリファックス伯爵、父親は第2代ハリファックス子爵、母親は第11代デヴォン伯爵の一人娘)でした。チェンバレン首相とハリファックス外相のコンビは、1938年のミュンヘン会談でヒトラーに対し宥和政策を取ってチェコスロバキアのドイツ人居住地域のドイツ併合を認め、調子付いたヒトラーは翌年チェコを併合しスロバキアを保護国化した挙句、ポーランドへ侵攻して第2次世界大戦となってしまったのでした。その後チェンバレンが退陣してチャーチルが首相となり(40年5月)、イーデンも外相に復帰して(同年12月)、英国は第2次大戦を戦い抜くことになります。
 とまあ、サザーランドの本から触発される点は多いのですが、実はこの『現代小説38の謎』も結構いい加減なところがあって、ダーリントン卿を「一九四六年に死亡」とか推測していますが、『日の名残り』の中でダーリントン卿の死は三年前、つまり1953年と書いてあり、これには読者も訳者も気がつかなかったのでしょうか。
 さて、多少は使用人関係のことも書いてみましょう。スティーブンスの仕事上の回想では、ダーリントン・ホールで展開された国際会議をはじめとした来客を如何にもてなすかという話がほとんどです。勿論、日々の地味な家政の切り盛りは、わざわざ回想するに及ばないということもあるのでしょうが、ダーリントン卿の家族や日常、個人的生活といった面が全くといっていいほど登場しないのは、注目してもいいことだと思います。これは連載第80回で述べたことの繰り返しですが、ダーリントン・ホールの世界とは「プライヴェートな生活と、公認された、いわば外交的・政治的な機能を持つ公的生活とを切り離すことはできな」かった世界だったわけです。一方、家庭と公的生活を分離した世界(すなわち現在)では、公的生活は専門技能の持ち主によって担われ、重要な決定はお屋敷ではなくオフィスで下されます(「家柄」「財力」といったパラメータで公的生活の能力を測らなくなるのです)。19世紀末以降の社会を「プロフェッションの社会」とみなす見解は、歴史学の世界で一定の支持を受けています。この視点から言えば、ダーリントン・ホールで1923年に開かれた国際会議での、アメリカ上院議員ルーイスの演説「ヨーロッパがいま必要としているものは専門家なのです、皆さん。大問題を手際よく処理してくれるプロこそが必要なのです」という発言は全く正しく、ダーリントン卿以下の人々が時代に取り残されつつある存在とみなせるでしょう。
 ここで一つの論点が浮かびます。執事のスティーブンスは「プロ」「専門家」でしょうか? ネットの感想などではスティーブンスの「プロ意識」に感動した、と書いておられる方を散見しましたが、「プロ」「専門家」の意味を19世紀末以降の歴史に照らして限定すれば、スティーブンスは、つまり執事は、ひいては家事使用人という人たちは、専門家ではないでしょう。それを示唆するのが、スティーブンスの執事論であり、本書中に出てくる執事の団体「ヘイズ協会」の入会資格ではないかと思われるのです。彼らが価値を置く品格とは、結局は雇い主の存在に依存したものであり、自立したものとは言いがたいからです。「スティーブンスが信じてゐた執事としての美徳とは、実は彼を恋ひ慕つてゐた女中頭の恋ごころもわからぬ程度の、人間としての鈍感さにすぎないと判明する。そしてこの残酷な自己省察は、彼が忠誠を献げたダーリントン卿とは、戦後、対独協力者として葬り去られる程度の人物にすぎなかつた、といふ認識と重なりあふ」という丸谷才一氏の書評は、筆者も大いに納得したところでした。
 肝腎なことを無視して枝葉末節に迷い込み、散々彷徨った挙句、随分長話になってしまいました。最初の課題「何故メイドものが流行ったか」には結局手がつきませんでしたが、また日を改めてつらつら考えてみたいと思います。結局、こうやって本を読んで理屈を捏ね回しているのが、一番楽しいのかもしれません。

(連載第100回・2004.7.26)


#今週の妄想

 一八七〇年代半ばには、女性は先天的に模倣者であって創造者でないという考えは、西洋文化のなかで最も普及した常套句の一つとなっていた。このような模倣への傾向のために、劇場の舞台こそ、女性が文明社会の文化的生活に最もよく寄与しうる場として見なされるようになった。実際、演技とは、模倣の一形態でないとすればいったい何であろうか。(中略)
 「反射するもの」としての女性の性質は、もちろん、演技癖という形以外でも描くことができた。フロベールは「純な心」(一八七六)という物語のなかで、自己滅却的な下女フェリシテ――あらゆる中産階級の家庭が雇いたいと夢みるような、理想的な種類の種類の労働者階級の役畜――と、彼女が個人的崇敬の対象とした、それ自体自然界における模倣講堂の古典的象徴である鸚鵡とのあいだに、手の込んだ平行関係を創出した。女と鸚鵡。文明社会においては、どちらも反射された実存を生きるのがせいぜいである。フェリシテは召使いとして正当にも、そのときどきの主人たちを模倣することに人生を費やす。鸚鵡を崇拝するとき、彼女は本能的に、模倣の神を、彼女の無意味な実存の不条理な精髄を、崇拝することに決めたのだ。

ブラム・ダイクストラ(富士川義之・藤巻明・松村伸一・北沢格・鵜飼信光共訳)
『倒錯の偶像 世紀末幻想としての女性悪』パピルス

 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、西洋の主に上流階級の人々が女性に関して如何なるイメージを、もっと言えば危険な幻想を抱いていたのか、その時代の絵画による女性の表現を手がかりに読み解いてゆく書物です。手がかりとなる絵画については318枚もの図版を収め、600ページを超える浩瀚な著作ですが、大変に面白く飽きることがありません。
 19世紀に於ける女性の地位が低かった、それは現在のみならずそれより過去の時代と比べてもそうであったといわれています。19世紀の産業社会の発展により、中産階級では女性が生産活動の場から締め出されて、社会の荒波から守られた家庭の中に安寧をもたらす存在として――「家庭の尼僧」として――祭り上げられます。しかし実際にそんな地位をほいほい女性が受け入れるかといえばそういうわけではなく、それでは男たちがそのような概念を修正するかといえばそんなこともなく、女性を従属的地位におとしめようとする幻想の方をより過激化するのでした。活動的な女性像は忌避され、病弱な女性の画像が美術界に氾濫し、献身の果てに死ぬ女性像を礼賛します。かようなプロパガンダに女性が従うかといえばそんなわけもなく、むしろ19世紀後半にはフェミニズム運動が勃興し女性の地位向上を求めて戦いを始めます。男どもはこれに恐慌をきたし、あるべき理想に従わぬ女性を倒錯の偶像として描き、女性像は極端から極端へ揺れ動きます。
 19世紀後半には科学が進歩し、進化論が唱えられるようになります。しかし、この「進歩」も、女性差別の理論を補強し激化させる方向に作用するのでした(進化論は教会などによって非難されはしたが、実は当時の時流に適合的であったから受容されたのであり、自らの革新性を誇張するために進化論を唱えた側が進化論への非難を大げさに描いたのだ、と述べられています)。女性は(有色人種などと同様)劣等な存在として位置づけられ、劣等なる女性の魔手に絡め取られれば男性もまた退化するのだとされ、科学者が進化論を楯にそれにお墨付きを与えたのでした。女性嫌悪の風潮は世間を風靡し、両性の関係はあたかも戦争のように描かれ、「女性皆殺し(ガイニサイド)」の幻想を抱かせるまでになります。
 ダイクストラは、結局実現不可能なガイニサイドに代わって、20世紀には民族皆殺し(ジェノサイド)が実行されたのだと本書を結んでいますが、これは本書が触発するであろう様々な考えの可能性からすれば、いささか手短にまとめてしまったきらいがあります。本書は読む人によって多様な、またひとりの読者が思う内容だけでも多様な感想を抱くことができるでしょう。とりわけ、女性キャラクターに重きを置いた様々な表象に取り囲まれている、秋葉原方面の趣味の方々は、是非ご一読されることをお勧めします。あと百年経って新たな『倒錯の偶像』が編まれ、女性を描いた絵画に代わって萌えキャラの画像が大量に張り込まれ、フランシス・クックやオットー・ヴァイニンガーに代わって斉藤環や東浩紀が取りあげられるような本ができるかも知れない、と考えると、たまらなくわくわくします。
 ともあれ、このような女性へのまなざしは、百年の時を経た現在でも、形を変えつつ受け継がれている面はきっとあるでしょう。筆者としては、19世紀後半の高度な産業社会の形成が、ホワイトカラーの疎外感を深めたということが、重要なキーワードになるのではないかと思います(連載第80回参照)。世紀末において疎外感のはけ口を男たちが女性に向けたことが本書に指摘されており、同様な状況は今日なお存在しているでしょう(ヴァーチャルな世界に逃避した人間が現実感を喪失して犯罪を起こすのだ、などという言説を再検討する上でも有用でしょう)。常識というものの怪しさを考え直すというだけでも、充分今日的な意味があります。
 引用部は女性には創造性がなく男の真似をすることしかできない、という当時の風潮について述べたものですが、女中の理想像が主人の模倣にあるということは、彼女には自ら独自の理想像を追求する能力はなく、ひたすらなる従属をすることが、「理想的」と当時の読者(階層としては雇い主)に受け取られていたのですね。そうしてみると、ギャルゲーやアニメに出てくるようなメイドさん萌えの人こそ、実は、精神的にはヴィクトリア朝のご主人様どもの正統的後継者であると考えることも可能です(これは本書における、ロマン派絵画と印象派との関係とパラレルになります)。或いは連載第21回の加茂氏の言説などを再検討してみるのも興味深いでしょう。
 とまあ、きわめて面白い本書なのですが(ツッコミを入れれば入れ所もあるのですが)、1994年邦訳版登場であるにもかかわらず10年経たずに既に新品での入手は不可能なようです。しかし関心のある人には、古本屋や図書館を草の根分けても探し出す価値はあります。

(連載第99回・2004.6.12)


#今週のグレーゾーン

 ガヴァネスと乳母の処遇にはいくつかの細かい相違点があり、それがそれぞれの立場をよく表していた。(中略)ガヴァネスと乳母は服装が異なっていた。そしてその違いは、乳母の育児室用のエプロンと、白い糊の効いたオーバーオールにとどまるものではなく、ロンドンのリージェント・パークの王立植物園の中であきらかに見て取れた。(中略)ハーリー街の専門医の娘、イヴリン・ノースクロフトは、一九二〇年代初期に乳母に毎日公園に連れて行ってもらった。そしてベンチに座っているガヴァネスと乳母を容易に識別することができたと、回想している。乳母はみな、夏は青みがかった灰色の服を着ており、十月以降は濃紺色の服とそれにマッチするフェルトの帽子を被っていた。ガヴァネスは一年中、ツイードのツーピースとメリヤスのセーター[薄手や厚手や季節により変化はあるが]を着ていた。要するに、乳母は制服を着用しており、ガヴァネスは雇い主の服装をまねていたのである。

アリス・レントン(河村貞枝訳)『歴史の中のガヴァネス 女性家庭教師とイギリスの個人教育』高科書店

 その昔の英国では、家女中やら台所女中やらいろいろ家事労働者がおりましたが、一つ屋根の下にいながら家事労働者でもなければ家族でもない、微妙な位置付けの人もおりました。それが今回の本のお題であるところのガヴァネス、女性家庭教師であります。19世紀の英国では女性の地位が低く、公的な地位や職業から締め出されていました。そのため、一定の階層以上の女性が自活を余儀なくされた場合、就ける職業は非常に限られており、家庭教師であるガヴァネス(住み込みが多いですが通いもあり)が唯一の選択肢となっていたのでした。ガヴァネスについては中公新書の本が著名ですが、それ以外にもこんな本があったので今回引用してみました。
 さて、ガヴァネスは一応リスペクタブルな職業とされていましたので、使用人とは別の扱いを受けていましたが、かといって家族と対等というわけでもありませんので、使用人と雇用主の身分階層での居場所がはっきりせず、結局仲間がいない孤独な立場に追い込まれてしまったのでした。さらに、家事使用人との仲は緊張をはらんだものになることが少なくなかったようです。特にこの章では、子どもをめぐって職権が近接している乳母との対立について触れられています。また別の箇所では、女中さんがガヴァネスへの嫌がらせに、早朝仕事を始めるとき、ガヴァネスの安眠妨害のために「階段を一段とばしにどしんどしんと降り」たりするようなこともあったといいます。ロングスカートで一段とばしをやって、裾に足をひっかけて転倒したりしなかったかちょっと心配です。
 引用部では他に乳母のファッションも窺い知ることができ(フェルトの帽子ってどんな感じなんでしょうね)ますが、もちろん、テーマであるガヴァネスについて、近世以降20世紀に至るまでの概要をつかむことができる一冊です。

(連載第98回・2004.5.17)


#今週のエマ

 ルーシーからマリアンに宛てられた一通の陽気な手紙は、ヘンリーと共同経営者たちがバーチン・レインにめでたく就任し、身内の女性たちを歓待する模様を描いている。

 私たちは銀行で楽しい一日を過ごしました。出席していた共同経営者たちは、欠席の人たちの分を埋め合わせようとできるだけのことをしてくれました。私たちが到着したとき、ミセス・C・ウィリアムズと二人の子どもを連れたハリエット(ジョン・メルヴィルの妻)がそこにいましたわ。ハリエットは大いに愉快に過ごしていました……二階の部屋はとても涼しくて、さわやかでしたので、馬車に乗ってきたあとでは気持ちよくかんじましたの。昼餐はハローでの昼餐に似ていて、ただとてもきちんとしていて、紳士風で、アイスクリームの評判がよろしかったのです。給仕をする男の召使はいませんでしたが、メイドたちが料理を部屋に運び、ヘンリーとチャールズ・ウィリアムズが肉を切り分け、話をし、スプーンやアイスクリームやお皿などを客のところに運びました。メルヴィルがテーブルの一方のはじに座りました。C・ウィリアムズはラブシェアがいないことを十分ごとに残念がり、彼の留守中にこの昼食会が催されたことに、ラブシェアは腹を立てるだろうと言いました。ハリエットはメイドたちが戸口にあらわれると、そのドレスを見つめたり、笑ったり、テーブル越しにささやいたり――共同経営者たちの誰かがメイドたちにキャップに飾りをつけるように命じたのか、と不思議がったりしていました。メイドたちはとても器量よしでたの。ハリエットはまた、私たちの到着前にメイドの一人がトイレの場所を教えてくれようとした、と言い、メイドが自分で考えてそうしたのかしら、と言っていました。まさにハリエット・メルヴィルといったところです。それから私たちは建物を見てまわり、耐火地下室などを見ました。ヘンリーは私たちといっしょにロンドン大火の記念円柱を見にいきましたが、私は『エマ』(ジェイン・オースティンの小説。一八一六年出版)を持ってきていましたので、それを読みながら馬車の中に座っていました。みんなはてっぺんまで登りましたわ。

銀行はこういった盛衰を経たが、もとの場所でいまなお栄えている。イースト・セントラル三区、バーチン・レイン二〇番地のウィリアムズ・ディーコン銀行だ。

E.M.フォースター(川本静子・岡村直美訳)『ある家族の伝記 マリアン・ソーントン伝』みすず書房

 英国の著名な作家(だそうな)E.M.フォースター最晩年の作品(1956)です。本書はフォースターの大伯母であるマリアン・ソーントン(1797〜1887)の伝記であり、そしてまた表題のように、彼女を通じてみた一族、ひいては19世紀英国の上流ブルジョワジーの姿を、引用部のように彼女らが残した書簡を多く使いつつ、描いた作品です。
 マリアンの人生はヴィクトリア朝の大部分と重なっており(ちなみに、彼女はヴィクトリア女王より20年ほど早く生まれ、10年余り早く世を去ったことになります)、本書は19世紀英国社会史としても読むことができます。ソーントン家は銀行を経営していた裕福な家で、またクラッパム派と呼ばれる福音派のグループの知識人との交流も深く、本書にも多くの文化人の名が出てきます。マコーレー、ハナ・モア、多分一番著名なのはダーウィンでしょうが。とまれ、19世紀上流ブルジョワジーの宗教感情も垣間見ることができますが、その中でのマリアンの寛容で理知的な振る舞いは、読むものに深い印象を残します。
 引用部は19世紀初頭、マリアンの弟ヘンリーが、銀行経営の立て直しに成功した時の祝賀パーティーの様子です。メイドに関する描写が多いので引用してみました。ヴィクトリア朝後期の中産階級とは違った、上級ブルジョワジーの宴会の様子が描写されているのも面白いところです。
 本書には他には第3部である「伯母時代」の2章に、教育事業にマリアンがどのように取り組んだかが描かれており、その中にも使用人に関する記述が多く見えます。マリアンが教育事業に打ち込んだのは、18世紀生まれらしい啓蒙主義、というか知識と理性への信念があったためですが、同時に彼女は社会秩序の永続を信じていたので、身分相応の教育を進めることで、自らの階級にとって有益な、優秀な召使いやガヴァネスを養成するという目的もあったということが述べられています。そして末尾の章には、作者フォースターが幼いころのマリアンとの思い出が描かれ、そこにもメイドさんが登場しますが、一番紙数が割かれているメイドの名は「エマ」だったりします。
 ところでフォースターの代表的作品『ハワーズ・エンド』は映画化されているそうですが、20世紀初頭の英国を舞台にしているそうで、メイドさんは出てくるのでしょうか。この映画は、アカデミー主演女優賞なんぞ獲っていますが、その女優さんの名はエマ・トンプソンでして、あの女中頭と執事の恋愛映画『日の名残り』の主演女優であり、このときはノミネートされたけどもらい損ねたんだそうです。

(連載第97回・2004.4.21)


#今週の貴族階級

一八八一年一〇月の雑誌『一九世紀』は、一五代伯(注:15代ダービー伯エドワード・ヘンリー・スタンリーのこと、ちなみに競馬で有名なのは12代目)による土地所有の「動機の文法」を掲載する。
「大英諸島の土地を人々が所有する際にめざす諸目的を次のように数え上げることができる……と私は思う。すなわち、(1)政治的影響力、(2)領域的所有に基づく社会的表示性、つまり土地が最も目に立ちかつ誤解の少ない富の形式である事実、(3)借地農の上に及ぶ統制力、或いは所領を経営し、掌握しかつ改良する喜びそれ自体、(4)居住生活上の楽しみ、これはスポーツと呼ばれるものを含む、(5)金銭的投資見返り――地代」。
 この説明をそのまま信じるのは、シェイクスピアの史劇を史実とするのと同様軽率であろう。地代が順序としては最後に置かれているのは特に疑わしい。ダービー伯家が一八八〇年代の全国的農業不振期に大幅な地代上昇に成功した少数の例外だった事実や、伯が死(一八九三年)に際し七二七名に上る召使い・庭師その他の使用人に六万二〇〇〇ポンドに達する遺贈を行いえた事実、(中略)これら全ては、彼らの遠い祖先に当たる第七代伯の忠告、金に意を用いよ、「というのも人は高貴さ gentility では市場で何も買えないのだから」が無にされたわけではなかったことを物語る。しかしこれらを以てダービー伯家を貴族の位階と呼称で身を包んだブルジョアに見たてて事を済ませるのはさらに不賢明である。というのも、第七代伯の忠告はつまるところ有利な花嫁を娶れ、であって、実業に精を出せではなかったからである。

水谷三公『英国貴族と近代 持続する統治1640-1880』東京大学出版会

 19世紀ともなればフランスでは革命が起こった後の時代な訳で、貴族という人々の重みもだいぶ軽くなってきたのですが、英国においては貴族は他国に比し勢力を保っていました。どうしてそんなことができたのでしょう。政治的に貴族よりブルジョワジー、中産階級寄り(笑)の本欄執筆者としても、やはり知っておきたいところであります。
 かつての説では、英国の貴族は貴族といいつつ経済的にはブルジョワジーそのものだったのだとされましたが、本書ではそれを否定した新たな説明を試みます。それには英国の貴族が土地というバックボーンを持っていたことが重要なポイントになります。フランス絶対王政下の貴族は、宮廷の官職に収入を頼る部分が多く、そのため王様の機嫌一つで貴族が金欠になることもありえるのですが、イギリスの貴族は当主が反逆など起こして処刑されても、土地が誰かに相続されればお家が復興することも多々あったのであります(そのため本書では所領の継承について特に章を設けて解説しています)。
 このように金と力を持っていた英国貴族は、ピューリタン革命をはじめとするの歴史の流れの中で、それを利用することで支配身分から政治的統治層に変貌を遂げ、自らの存在価値を作り出すとともに、近代の形成に貢献したのであります。そのため彼らは他国のそれよりも活力ある存在であり続けることができたのです。だから19世紀にもなって、英国の貴族は執事やらメイドやら抱えてカントリーハウスにいたわけなのですな。
 さて、引用部は英国大貴族の使用人は727人もいて、平均約90ポンド弱(数百万円相当)もの遺産を受け取っていたというお話ですが、本書がメイドスキーにとって価値あるのはこんな瑣末なところにとどまるものではありません。なぜカントリーハウスというのは英国にしかないのか、何で英国人はそれを保存したり本に書いたりするのか、さらにいえば何で英国人はガーデニングが好きなのか、クリスティ作品の殺人の動機はどうしてああも遺産狙いが多いのか(笑)といったことにも相当の示唆を与えるでしょう。あと執事が好きな人は必ず読むべきですね。所領経営と国家運営の関連という点から、随所で執事について触れられています。
 勿論、本書は政治史の本として大変面白いです。論理が明晰で割と読みやすいですね。この解説はかなり偏っているので、貴族に興味のある方はひとつ読んでみて下さい。

(連載第96回・2004.4.6)


#今週の結婚

 かりに私が独身であるとする。男一人では日常の家事が不便であるから女中をやとおうとする。女中の給与の相場を知らないから、全く仮定の数字だが、私は彼女に月五千円払っているとする。すると、彼女の年六万円という所得は、れっきとして日本の国民所得の中に数えられる。正確に計算しようと思えば、彼女が家で食べる三度の食事代、冬の暖房用の炭代など、いわゆる現物給与にあたるものも、彼女がいったん所得として受け取った上で消費したと考えるべきだから、現物給与六万円の上に、それを足さなければならない。(中略)そこで、私の女中の現物給与をかりに年六万円とするなら、彼女の所得は合せて十二万円ということになり、それだけが日本の国民所得の一部分をなす。
 さて、依然として仮定のはなしだが、ある年の元旦のこと、私は考えるところあって、その女中と結婚したとする。結婚すれば、その日から私と彼女の関係は、夫婦のそれである。相も変わらず彼女は前年と同じように掃除をし洗濯をし食事をつくり私の世話を見てくれるだろうが、もはや私は給与というものは払わない。彼女が食べる三度の食事も、現物給与とは見なさない。そんな水くさいことは、しないのが当たり前である。ところが、そうなると、日本の国民所得は私が女中と結婚した年から十二万円だけ減ってしまうのである。私が私の女中と結婚したというだけで、国の生産活動やその他に何の変更もないのに、国民所得が十二万円減るというのは、おかしいではないか。私一人だけのことなら、(中略)無視しても差支えないように見えもするけれど、問題は原則である。原則として国民所得がそんなふうに計算されているものであるとすれば、私と女中の結婚話は例外としてすますわけにはいかない。

都留重人「現代主婦論」
(上野千鶴子編『主婦論争を読む機〜患録』勁草書房)

 以前にも述べたことですが、メイドさんについて真面目に考えようとするならば、近代家族論からのアプローチが最も有効なものでしょう。その道に分け入ると、実は主婦というのが、家事使用人と密接な関係にあることが見えてきます(連載第76回参照)。その主婦という存在について、自立して働いていないのは良くないことだとか、むしろ主婦の方が人間らしい生活をしているのだとかいった議論が昔から行われてきました。このような主婦をめぐる論争、主婦論争について主要な論説をまとめた本から、著名な経済学者である都留重人が1959年に書いた文章の冒頭を引用しました。
 この本で、主婦論争というのは第一次から第三次までに分類されていますが、この都留氏の文章は第一次論争のものです。その内容は、当時の経済学から見て家事労働は有用であるが価値を産まない、ということを前提にしていますが、この経済学の家事労働無価値説こそ第二次論争の主たる論点になったことでした。第二次論争では家事労働が価値を産むのかが論じられたのです。もっとも都留はこの無価値説を引用部のようなたとえ話で述べたのちは、女中のしていることは生活のための「目的のない労働 labor」であり、一方妻になれば同じことも(経済学上の価値は生まないけれど)張り合いが出て「目的のある仕事 work」へ変じるというように話がいささかずれてしまって、どうもその後の論争に直接益するところはあまり多くはなかったようです。こっちの論点はこっちで突っ込みどころがいろいろありそうですが。
 ここで一旦近代家族論を離れて現在のサブカル方面を考察するに、なんとなくメイドもののハッピーエンドは、ご主人様ラブのメイドさんもしくはメイドさんラブのご主人様が本懐を遂げてみんな幸せ、みたいのがイメージされていそうですが、少なくとも雇い主にとっては給料をもはや払わなくて済むという点でハッピーエンドと言えそうです(笑)。メイドさんと結婚というシチュエーションも妄想の膨らませ方次第でこんな学問になるというお話でした。それはともかく、当時は日本でも月五千円で女中が雇えたんでしょうか。もっとも当時の貨幣価値は今のに直すと十倍以上になるでしょうけど。
 ところで今回のネタ本は、冬弓舎という出版社のサイトの中にある、ゲーデル先生とカンパネルラ君の対談形式の「よい子の社会主義」というコーナーのそのまた中にある、「よい子のボランティア」の中の記事がきっかけで探し出したものです。もっとも最近に書かれたこのサイトでは「メイド」なのが(おまけに「なんかスケベな議論ですね」なんてツッコミが入るし)、都留重人のときは「女中」というのが時代を感じさせますが、それはともかく、都留の全集の1巻にも本論は収められていますが、この『主婦論争を読む』の中で読んだ方がむしろこの文章の性格をよりよく理解することができると考え、こちらから引用した次第です。

(連載第95回・2004.3.26)


#今週の満洲

 ターニャが来る前の日、母は父と言い争った。
「ワーニャもいるのに、なぜ娘まで雇うんだ? 二人もロシア人を雇う必要はなかろう」
「でも、ワーニャは洋服の仕事が少ないというし……。ワーニャも独身寮の洗濯の方が給料がいいからそちらへかわりたいっていうのよ」
「子守くらい竜作にやらせろ。うちは二人もメイドを雇う身分じゃない。大体おれは日本人が征服者のような顔をして、満人のアマなど何人も雇ったりするのは気にいらないんだ。あまり威張ると満人の反感をかう。日露戦争に勝ったからって、満人やロシア人は、おれたちの奴隷ではないんだぞ」
「わかってます。だけど、ワシーリーはお酒呑んではばくちばかりやって、相当借金があるそうよ。ワーニャに娘を雇ってくれって頼まれて、いやとはいえないんですよ」

豊田穣『日本交響楽』講談社文庫

 もう最近ではすっかり下火になりましたが、ひところ「架空戦記」なるものが流行ったことがありました。大概は怪しい新兵器やら何やらが登場して二次大戦で日本軍が勝ってしまうという、安直なものに過ぎませんで、やがてネタ詰まりになってくるとヲタクネタと融合をした挙句、意味もなくメイドさんが登場するものもあったとか仄聞しておりまして、ミリタリー趣味者でメイドスキーの筆者としては、かかる安直な融合には断乎として否と唱えたく思っておりますが、それはともかく、まだ「架空戦記」がはやっていた時分、NHKのニュースでそれが取り上げられたことがありました。「架空戦記」側の代表者は荒巻義雄でしたが、一方それに対する批判者として登場していた人物こそ、今週お題の本を著した元日本海軍のパイロットである豊田穣氏だったのですが、その番組が放送されて一月かそこらで、今度は豊田氏の訃報に接したのでした。「昭和も遠くなりにけり」と、そのときほど時の移り変わりの無常さをひしひしと感じたことはありませんでした。
 というわけで、一万二千枚という豊田穣氏の自伝的大河小説『昭和交響楽』の第一部となる作品の、そのまた序盤の「満州篇」からの引用です。時は昭和初期の(満洲事変前)満洲、主人公竜作は満鉄に勤める父を持ち、ターニャたちはロシア革命で祖国を追われたいわゆる白系露人の一家です。竜作に弟が生まれ、母親の体調が思わしくなくてメイドを雇う、という話です。で、こういう次第で竜作の家にやってきたターニャと竜作の春のめざめ的触れ合いについては本書を読んで頂くことにして、ここで注目すべきはお父さんの台詞です。家事使用人について、白人のロシア人では「メイド」と呼び、満洲人だったら「アマ(阿媽)」と呼び分けていますね。これが日本人だったら「女中」になったりすると、人種ごとに使い分けがされているわけで、はなはだ面白いことといえますが、まあその辺の詳細はもうちょっと当時の文献を調べてみる必要があるでしょう。しかし、ヴィクトリア朝の英国人が、植民地のインドに行って現地の人を安い給料で使用人に雇い、王侯貴族のような暮らしをしていたといいますが、遅れてきた帝国主義国・大日本帝国でも似たようなことがあったという訳ですね。
 全く余談ですが、本書のもうちょっとあとの章で、小学生三年生になった竜作が友達と語らって悪戯をする話があります。それは身体検査の機会を利用して、同級生の女の子の裸を覗いてやろうというのですが、何でそんなことができるかというと、当時の身体検査は一枚残らず脱がせていた(!)からであります。まあ徴兵検査がそうだったからなんでしょうが、当時は子供の裸が猥褻物であるという認識がなかった、それは戦後もかなり後まで――というか、おそらくは80年代ぐらいまではどうもそのようだったみたいですね。猥褻なんて概念は案外短期間でがらりと変わってしまうというお話でした。全く余談でしたな。まあいろいろと昔の風俗が描かれているところも面白い、というところで。

(連載第94回・2004.3.6)


#今週のアルバイト

(「ベルリンにおける女性の職種・賃金・休業期間」という表につけられた注)
 女中は食つきだが、給与は年に8-20ターラー。そのほか売春によって少ない給与を補わせるためにしばしば夜の外出用に家の鍵が与えられる。ドレスデンについてのアレキサンダー・シュネーアの報告によれば女子奉公人の賃金は3ヶ月に4-8ターラーである。

良知力『女が銃をとるまで 若きマルクスとその時代』日本エディタースクール出版部

 社会思想史の専門家である著者の文章を、没後にまとめた本です。引用したのは、本全体と同じ題の論文で、「一八四八年女性史断章」と副題がつけられている通り、「諸国民の春」といわれたものの結局は失敗に終わった1848年革命の前後の、ドイツを中心とした女性の置かれた状況を描いています。表題のように、解放を求めて積極的に革命に身を投じ、女性にも武装する権利を求めて銃を取った女性たちがいたのですが、この革命は「ある意味では裏切りの歴史」であり、最底辺の「賤民労働者」や少数民族を切り捨てていったのですが、女性もまた「市民」の中に含まれず、切り捨てられていったのでありました。
 ドイツで、というか当時のドイツは統一前で、プロイセンはじめ諸領邦に別れていたのですが、そこでの女性の地位は、英国のそれと比べてもおそらくは一層苛酷であったでしょう。プロイセンは政治的にも経済的にも、英仏と比べ“遅れて”いたのですが、そのくせ警察機構だけはやたらしっかりと機能し、女中のような都市への貧しい流入者を厳しく取り締まっていたのでした。
 引用したのは女性の給与についての表につけられた注釈で、様々な職業について日給が記載されているのですが、女中は食つきで日給ではないため、別に引用部のように記されています(ベルリンでは女中は通いが多く、また経済的貧困から女中の九割は結婚できなかったとも言われているそうです)。この女中の給与を他の職業と比較してみると、給与の高いのが洗濯女で、統計により差異がありますが、日に10〜15ないし17.5ジルバーグロッシェン稼げたそうです(1ターラー=30ジルバーグロッシェン)。ただし休業期間が年に4ヶ月もあるので、仮に残りの毎日働いたとすると、年間80〜140ターラーになります。逆に最も少ないのは紡績女工で、日給1.75〜2.5(休業2ヶ月)もしくは3〜4(休業3ヶ月)という値が示されています。なお、男の給与と比べると、女性のそれは大体半分くらいというのが相場だったようです。
 こうも給与が低いと、女工たちは副業として街に立たなければならなくなるのですが、女中さんもその例外ではなかったというお話。しかも鍵を与えられているということは、雇い主公認ということなのでしょうか。つまり夜伽は別料金となっております、じゃなくて、そういった兼業が周知であったということに何とも言い切れないものを感じます。
 他にもマルクスの1848年革命の認識や、ヘーゲル哲学の後継者たちの流れなど、いろいろと勉強になる内容が盛り込まれた一冊です。

(連載第93回・2004.2.28)


#今週の家族計画

妻にふりかかる子育ての過労のゆえに、男性の側で家族員数を制限する準備ができていたということもありそうに思われない。この当時、家事使用人の数は多く、相対的に言って費用がかからなかった。ミドルクラスの女性はずっと前から家庭内の日常的で単調なほねおり仕事から解放されていたし、子供の面倒をみるには乳母かガヴァネスを雇っていた。したがって、一八七〇年代がミドルクラスを“コスト”の問題に面と向き合わせたと言えるような意味合いでのみ、状況の変化に女性解放がからんでいたと論じられよう。出費を切りつめる際に、ミドルクラスの夫たちが選択したのは、無理やり自分の妻を子供部屋や台所に連れもどすことよりむしろ家族の大きさを制限することであった。
(注:“コスト”は原文では“”ではなく傍点が附されている)

バンクス夫妻(河村貞枝訳)『ヴィクトリア時代の女性たち ――フェミニズムと家族計画――』創文社

 もともとサブタイトルが原題であった本で、19世紀後半の英国における、女性解放運動と女性一人あたりの子どもを産む数が減っていった社会状況との関係を論じた一冊です。本書の結論を一言で言ってしまうと、家族計画が普及していったのは経済的理由によるところが大きく、フェミニズム運動がその原因ではない、ということです。家族計画の実現の前提に男女平等は必要なく、男性の主導権下で進められるといえるようです。
 一口に19世紀といっても、政治や経済の状況は折々によって変化しますが、19世紀の終わりごろ、1873年ごろから1893年ごろまでの間はデフレによる「大不況」と呼ばれています(ちなみに連載80回登場のホブズボームの場合は、1875年を時代区分として採用しています)。その後は1910年ごろまで再び好況になり、そのとき欧州で経済を牽引したのが主に電気と化学産業で、つまり「ドイツの科学は世界一ィィィィ!!」な時代になるわけですな。まあそれはともかく、大雑把に言えば、経済が沈滞したので若い層が将来の収入が増える展望が持ちにくくなり、子供を持つ数が減った、という図式になります。社会的体面を保つための、ヴェブレン言うところの「顕示的消費」(連載73回参照)は減らせないので、子供の人数が削減対象になったわけです。メイドさんじゃなくて。
 経済の不況と出生率の低下というと、なんか今の日本とちょっと似た面もありますね。家事使用人はいないけど。

(連載第92回・2004.2.23)


#今週の日米交流

 いつだったか、日本の「メイドさん」を主人公にしたGI向きの漫画を読んでいたことがある。アメリカ人は日本に住んでいるといっても、ふつうにはそうしょっちゅう日本人と接触する機会はない。ただ一つ例外があって、朝から晩までハナつきあわせている日本人がいるが、それが「メイドさん」なのである。しかるがゆえに「メイドさん」の日米交流に果たしている役割はいかに大であるかという前おきがあって、新聞記者がタイプをたたいている場面がある。「何トカに対する日本人の反対感情は……」というところまで打って、「ハナコさん」と「メイドさん」を呼び、「きみはこの何トカについてどう思うかね」とたずねるのである。

小田実「もやのかかった日本 ――「トウキョウ」特派員の見る眼――」
(『小田実全仕事 7』河出書房新社)

 旅行記『何でも見てやろう』などの著作や、かの「ベトナムに平和を!」市民連合に代表されるような市民活動で知られ、現在でも活発な活動を続けている小田実氏の文章です。これは随分前のもの(確か1960年代)ですが。
 この文章の趣旨は、日本に来ている外国特派員の情報ソースが偏っているために、日本のイメージに「もやがかかって」いるような状況になっていることを指摘したものです。その状況は今日いくらかは改善された…と思いたいところです。
 で、その情報ソースが記者の「メイドさん」だったという次第。ここでその「メイドさん」の意見が報道のあり方を決め、それが国際関係を動かした――なんて事件があると面白いのですが、まあ現実にはそこまで面白いことはそうそう起きるわけでもないでしょうが。
 それはともかく、60年代にアメリカ人が日本に来たら、メイドさんを雇うのがよくあることだったということですね。ちょうど今の日本人が、東南アジアなどに赴任すると現地人のメイドさんを雇うみたいに。しかし今はそんなことは普通ないでしょう。高度成長前後で、日本の社会構造は大きく変わり、日本は経済的に先進国となって、それに伴い女中さんもほぼ滅亡したわけです。
 ところで、この新聞記者の「メイドさん」、どんな服装だったんでしょうね。戦後だから洋装の可能性大ですが…。

(連載第91回・2004.2.16)


#今週の進駐軍

(軍人一家の朝食風景を写した写真に付けられた説明)
占領軍の日本での快適な生活ぶりを伝えた米海軍の一連の写真のひとつ。1947年8月。「横浜に住む海軍軍人の125家族では、日本での生活費が高いという声はまったく出ない」「ひと月27ドルで、5部屋から7部屋を占有し、家具・レンジ・電話・冷蔵庫完備、下男付き」というキャプションがついている。日本人ならこの朝食の風景は奇妙に思うだろう。右側に立っているメイドは、この場には不似合いの晴れ着を着ているからだ。

ジョン・ダワー(三浦陽一・高杉忠明訳)『敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人』岩波書店

 敗戦後の占領期の日本を描き、アメリカではピュリツァー賞を受賞した本です。日本でも大きな反響を呼び、最近写真を倍増した増補版が出ました(引用元は元の版です)。膨大な資料に基づいて執筆され、さらに翻訳に当たってはすべての引用元のオリジナル日本語史料に当たるという、根気強い作業が行われています。その作業中にあった笑い話で、元の本に「フィジー新報」なる新聞が引用されており、はてフィジーの日本人移民が作った邦字紙かと思って調べてもそんなものはなく、よくよく原文を見たらフィジー Fiji じゃなくて「時事 Jiji 新報」だったということがあったそうで(イタリック体にすると大文字の F と J はよく似ている)、そんな細部までチェックを入れて翻訳されているのであります。
 本書の読みどころについては人により意見が様々で、それはむしろ本書の豊かな内容を示す一証左といえましょう。しかし、イラク戦争前にネオコンがこの本を読んでイラク戦争後の統治の構想を練っていたと雑誌の記事で読んだ覚えがあるのですが、さすがにそれには愕然としました。日本にはあった敗北を抱きしめる要素は、イラクにあるとは到底思えないんだけど…人は自分の知りたいことを知りたいようにしか知ることができないのでしょうか。そういえば、テレビのイラク戦争ニュースで、アメリカで「CNNみたいなリベラル報道はもういらない。FOXテレビマンセー!」(FOXテレビというのは、政府寄り愛国的好戦的報道によりアメリカで人気になったテレビ局)とプラカードを掲げてデモをしている人々を見たときは、ぎょっとしました。
 さて、身に合わない偉そうな話はこの辺で一端切り上げて、引用部の検討に参りましょう。筆者は以前、戦前の婦人雑誌を少しばかり調べたことがあるのですが、その中でアメリカの「文明化された」生活は憧れとして描かれていました。ちなみに、日常模範とすべき倹約の精神なんかに関してはドイツが出ていました。え、英国式使用人の紹介? ねーよそんなもん。閑話休題、そういうわけでアメリカ人が大量にやってきたことによる日本の生活習慣への影響も少なからざるものがあったと思われますが、使用人を「メード」という呼称で呼ぶことを日本人が知ったのも、進駐軍の影響ではないかと筆者は考えています(連載第22回参照)。今のところ見つけた戦前の「メイド」というカタカナ語の用法は、家庭の女中ではなくてホテル従業員をさすものばかりなので(連載第47回参照)。
 なお、この「メード」、衣裳は和服であります。

(連載第90回・2004.2.4)


#今週の長編小説(第8クール開始記念引用極めて甚だしく長め号)

私は母に伝言を書き、手紙ではいえないたいせつなことがあるからあがってきてほしい、とたのんだ。私がおそれたのは、叔母の料理女をしていて私がコンブレーにいるあいだは私のせわをすることになっているフランソワーズが、私の伝言をもってゆくのをことわりはしないかということであった。フランソワーズにとって、客があるとき母に用事をつたえるのは、劇場の門衛が舞台に出ている俳優に手紙をわたすのとおなじように、不可能に見えるのではないかと私には思われた。この料理女は、やってもいいこととやってはいけないこととに関して、不可解とも無用ともいえる区別を設けた、尊大で豊富な、精細で動かしがたい、一つの法典をもっていた(そのためにこの法典は、嬰児を虐殺せよとかいうような残忍な法令とならんで、仔山羊をその母乳で煮てはならぬとか、動物の腿の腱をたべてはならぬとかいったことを、過度な思いやりできめているあの古代の法律のような観を呈していた)。この法典は、私たちから言いつけられたある用事を、そのとたんどうしてもやりませんと言いだすその強情さから判断すると、フランソワーズの周囲や、村から出てきた女中としての彼女の日常生活の、どんなものからも暗示されなかった諸項目、社会の複雑さや社交上の洗練にわたる諸項目を、ぬかりなく規定してあったように思われた。そして誰もが、彼女のなかには、非常に古い、高貴な、理解されることのすくない、そんなフランスの一つの過去があると思わないではいられなかった、あたかも工業都市のなかに、かつて宮廷生活がくりひろげられた跡であることを示す古い館があり、いまは化学製品工場の労働者たちが、聖テオフィルの奇蹟とか、エーモンの四人の息子たちとかをあらわす繊細な彫刻が残されているそのなかで、仕事に従事しているようなものであった。今夜のような特別なケースでは、法典としてはもちろん私のような子供のためにスワン氏のいるまえでフランソワーズがママの邪魔をしに行くことは火事の場合でないかぎりはほとんどゆるされる見込はなかったが、条文としてうたわれていたものは、単にフランソワーズが家の人たちにはらう尊敬――死者や司祭や王にたいするものとおなじような尊敬――だけでなく、また一家が手厚くむかえるよその人たちにたいする彼女の尊敬にもおよんでいたのであって、そんな尊敬は、私としては本のなかで読めば感動したかもしれないが、彼女の口からきくと、それを話すためにわざと重々しい、感動した調子になるので、いつも私はいらいらしたもので、それに今夜のような特別な場合は、彼女が晩餐に神聖な性質をおびさせていたから、そんな儀式を乱すのを彼女が拒む結果になるだろうと思われ、ますます私はいらいらした。しかし、自分に都合のいいように、私はうそをいうことをためらわなかった、そしてすぐさまフランソワーズにこういった、ママに手紙を書こうと思ったのはけっして私ではない、私とわかれるとき、私にたのんださがし物のことで返事を忘れないようにと念をおしたのはママなのだ、だから、この伝言をわたさなかったらママはきっとひどく怒るだろう、と。フランソワーズは私のいったことを信じなかった、といまの私は思う、なぜなら、現代のわれわれよりもずっと強い感覚をもっていた原始人のように、彼女はわれわれにとらえることができない徴候から、われわれが彼女にかくそうと思っているどんな真実でも、たちまち見ぬいてしまったからである。彼女は五分間ほど封筒をながめた、あたかも、紙の検討と書体の外見だけで、内容の性質が判明してくる、それとも彼女の法典の第何条を参照すべきかがわかってくる、とでもいうように。ついで彼女は、こんな意味が読みとれるようなあきらめ顔で、出ていった、「なんてなさけないこった、親御さんにとって、こんな子供をもつなんて!」

マルセル・プルースト(井上究一郎訳)『失われた時を求めて』ちくま文庫

 たとえば夜眠るまえのひとときなど、あるいはぼんやりと暇つぶしに新聞を読んだりネットを見ているようなとき、頭のなかで思ったあるひとつのことから、連想してうかんだ別のことへと思いがながれてゆき、ある記憶がひきだされてはっとなるようなことは、よくあることと思いますが、今回引用しましたプルーストの名前だけは有名な『失われた時を求めて』、そのあまりの長さに読了したものはきわめて少なく、筆者もむろん読了したわけではありませんが、こうやってじっくりと、とはいっても文庫本で僅々二ページ余りですが、筆写してみますと、やはり引き込まれるものはあるわけですが、しかしまた最初にこの本の原稿を送られた出版社の反応が、「ひとりの紳士が眠りにつくまで、ベッドの中でどんなふうに寝返りを打ち続けるかを書くのに30ページも費やすことができるとは、私には理解しがたいことです」というのもまたむりからぬ気もするわけでして、とにかく20世紀最大の小説といわれる本書を論評するなど筆者の手に余ることですし、どだい要約はもちろん引用することとて容易ではないほどでして、引用部からフランスのブルジョワジー階層と使用人階層の文化的断絶を読みとって云々などと理屈をこねるのも、ことこの作品に関しては、枝葉末節にこだわるつまらぬいとなみに思えてくるものですから、ここで筆を擱くということにさせていただくのであります。

※今回の引用元…http://www.se-inst.com/tox/index.html

(連載第89回・2004.1.26)

第77回〜第88回(7クール目)

第65回〜第76回(6クール目)

第53回〜第64回(5クール目)

第40回〜第52回(4クール目)

第27回〜第39回(3クール目)

第14回〜第26回(2クール目)

第1回〜第13回(1クール目)

ブックコレクションへ